どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

2007年10月02日 | 日記
ここのところの3年続きの身内の不幸ですっかり死に慣れた なんて事も無いが 不感症にもなり大胆にもなるというもの


昔 こんな映画があった

青年と言うにはまだ早いティーンエイジャーの男の子 趣味は墓場の散歩で人生は厭世観でイッパイ

所詮 人は死ぬ そんな気分で毎日を送っているのだが ある日その墓場で 一人の初老の女性と出会う

で 彼は すっかり変わるのだが・・・

この映画の事は 多分以前も書いていると思うが(ヨッパライだから記憶が^^) 私も若い頃は彼に似た気分だった

人生の結果を死と読めば 日常が空しく見えてくる

さっぱり判らない闇の中を彷徨って やっと灯りが見えたのは すっかり大人になってからだった

こう書くと さぞかしつまらない人生を送ってきたかと思われるかもしれないが それはまた別

その時々で面白いことは 沢山あった(相当かもしれない^^いや かなり目茶目茶に)


死には 三様あると思う

ひとつは 他所様の死だ

人類の歴史の死 古代の人の遺骨のそばにも死者に捧げた花の名残が発見できるというが 人として心が温まる事実だ

もうひとつは ごく身近な愛する人の死

恐らく 誰もが経験することだろうと思う

そして 残りの一つは 自分の死

これだけは 決して見ることが出来ない


死というものを意識して生きる事 それは私にとっては凄く意味があることであり 決して忌み嫌うものではない

子供の頃 死というものを知って 何時かは私を愛してくれた人が居なくなると知って涙が出た夜があったが

今は そんなことは無い


先達の死が教えてくれる事 それを謹んで受け取っている

両親に対する一番の感謝は それかもしれない

コメント
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