どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

つくづく 感謝するのみ

2008年06月11日 | 日記
イジメが日本で問題になっていた頃 それは今もあるのかもしれないが 水面下のことになったのだろうか

かなり前のことだ

当然 外国でもあって アメリカだったか ある小学校のクラスで模擬実験をした

そんなドキュメンタリーを見たことがある


いじめる側といじめられる側が それぞれリボンだかをつけて二組に分かれる

仲良しだった友達とも組が分かれてしまう ということにもなる

模擬体験だとわかっている子供たちではあったが 多くの動揺があった

危険な面もあるが 良い授業だと思った


私の時代には それほどあからさまな事はなく まだまだのんびりとした時代だった

どちらの側になる子もいたのだろうが 閉塞感というものは全く無かった

未来のある時代だった


今も無論ある

だが あるはずの未来が見えないと感じる人もいるだろう

若い頃は 若さゆえに一層大きく見える人と 若さゆえに見えない事への不安が募る人がいるものだ

それを乗り越えるのに必要なものは 決して自分ひとりでは生み出せるものではない


自分がこれまで生きてきた間に どれだけの人の恩恵を受けてきたか

泣いている赤子の自分をあやしてくれた人(記憶には無いが^^)

電車で幼子の自分に席を譲ってくれた見知らぬ人(若干の記憶^^)

子供の頃 ちょっとした悪さをした時に叱ってくれた人(かなりはっきり^^)

親や友達や先生や先輩などだけじゃなく 誰とも知らぬ多くの人に助けられて今の自分がある


被害者と思う人間が ある日 加害者になる

それは いじめの構造となんら変わるところが無い

それは 戦争でも同じだ


人はそういう心を持っている

だが 同じように そういう心を醜いと思う心も持っている

説教でも批判でもない

良く生きるのは難しくもあり 単純でもある

単純なほうが良いと思える私は幸運な人間であり それは私の努力なんかのせいじゃないとわかっている

つくづく 感謝するのみ
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ゴミ袋持って

2008年06月11日 | 日記
地獄を脱出しても 二日で三日分働くような毎日

まだ水曜日だって

私のところだけ 時空がおかしくなってるんじゃないかと思うほど

今朝はお弁当を作れなかった


でも 不満じゃない!

私は元気で生きている

さて ゴミ袋持って 今日もやるべき事をやってきましょう

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