どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

天気が良いので 吉祥寺まで歩く

2018年10月21日 | 日記
昨日は夕方から夜にかけて急な雨が降ったが 今日は予報通りの見事な晴天の日

それなのに結局どこに行くとも決められずに 家事をする

10時になってから 諦めきれずに散歩に出かけることにした

目的地を吉祥寺と決めたのは 帰りはバスで帰れるという気楽さと 前から一度歩いてみたかったから

若い時には自転車でよく行った

バスではラッシュアワーになると1時間近くかかることもあるが 道が空いていれば25分ほどで 距離にして6キロ少しというところか

途中で千川上水を見た時には その名をすっかり忘れていたので嬉しくなった

そうだよね~ だから千川通りってあるんだものなあ

子供の頃は玉川上水と並んでよく耳にしたものだったのに もうその存在すら頭から消えていた


仙川村を通した時に村の住民が多大な貢献をしてくれたことからその名をつけたというこの上水工事の設計が 河村瑞賢によるものだと知ったのは家に帰ってからのこと

ん?せんの字が違う?

はいはい これも瑞賢が「仙」の文字を「千」にあらためたのだそうです

それにしてもこの瑞賢 日本史受験の私にはとても懐かしい名前だが 当時はほぼ機械的に記憶しただけだった

まさか あの彼がこんなに近くに居るとは


土木工事から始まり材木屋として成功し スーパーゼネコンに加えて海運にまで事業を拡大 そうした中でこの日本には治山と治水が重要課題であると彼は説いた

今の日本も それに関しては何ら変わってはいない

仙川上水は小石川・湯島・浅草まで上水道として整備され のちには今の練馬区近辺や西東京市付近の水田灌漑用水としても用いられた

明治には あの三菱の岩崎弥太郎により千川上水株式会社が設立されたが 東京市の水道完備により解散し 昭和42年に暗渠化完了(現在でも一部は緑道とともに見ることができる)

東京オリンピックの後 少しずつ姿を変え始めた東京は 大阪万博以降をもってあらゆることが大きく変わっていったように私には思える


バス通りを歩いたのであまり面白いものは目に入らなかったが それでも吉祥寺に近くなると普通の住宅でも凝った家が増えてくる

きょろきょろしながら歩いていると ん?と思うものを道路の反対側に発見

気になって横断歩道を渡る

3階建ての大通りに面したビルで一部が賃貸のようにも見え(幾つかドアが見えたので) 一階は店舗のようだ(シャッターが下りていて中は見えない)

横に階段があるのだが まずその扉がオシャレ

しかも その階段の壁面がところどころ大きく空いているのだが そこに嵌められた柵がまた珍しい

建物はL字型になっていて その奥まった場所にある大きな鉄製らしき扉が重厚な感じである

すっかり怪しい人になって覗いていたら階段を降りてきた人と会ったので 少しだけお話を伺ったところによると その方の父親が20年ほど前に建てたのだそうだ

そうした建具や部材などをアメリカから輸入して作ったのだが 日本の気候風土には合わなくて 木製の部分などにはけっこうくるいも生じてきているとのこと

やっぱり見かけだけで使うのは難しいですね と話してくれた

写真を撮ることを快諾してくださったのだが ここには載せないでおく


一度歩きたいと思っていたので バスに乗ってでは良く知った道だったけれども 歩くのはまた新鮮であり 天気も上々でなかなか良かった

吉祥寺は案の定 休日に加えてこの天気なので 人で一杯

1時間ほどうろうろしてからバスに乗って帰る

いつもの5駅散歩よりも1キロほど近いので ここも散歩コースに入れよう

そして 皆さんがよくやっている仙川上水散策もしてみたいなあ


後日談:お店はパンケーキの店だったが、開店数年後に閉店した模様。アメリカに住んでいたご主人の、アメリカ好みのテイストの店内だった様子。
コメント (2)
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