どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

『曲亭の家』読み終える

2023年05月28日 | 日記

少子化が問題となって久しいが 結婚しないからなのか 結婚できないからなのか 結婚も出産もしなかった私が言うのもなんだけれど 原因は一つではないだろうと思う

私に関して一言で言うならば 自分をひとの人生を背負うことはできない人間であると思ったからであり その判断は間違ってはいなかったと思っている

 

曲亭の家に嫁いだ路(みち)が 一筋縄ではいかない婚家の人々と暮らす中 視力を失っていく馬琴を助けていた夫が先立ち なんと彼女が口述筆記をするはめに

漢字のひとつひとつにも細かい注文があり しかもその説明が難しく 挙句の果てには感謝や慰労の言葉よりも罵声が飛ぶというなか 耐えきれずに家を飛び出して町を歩く場面がある

その時 「八犬伝」を楽しみに読んでいる大工の話し声を耳にする

 

「ふいに天啓のように、お路は悟った。

読み物、絵画、あるいは芝居、舞踊、音曲—。

衣食住にまったく関わりのないこれらを、何故、人は求めるのか?

それは、心に効くからだ。精神(こころ)にとっての良薬となり、水や米、炭に匹敵するほどの生きる力を与える。」(引用)

これは 同じ作家(小説家)として著者自身の作品を生むことへの矜持のように 私は感じた

あれほど気難しいと感じていた舅の馬琴が最期を迎える頃 路は作家の業とでもいうものを理解するまでになっていく

そして曲亭琴童として『仮名読八犬伝』を引き継ぎ 完成させる

 

路の人生を描きながら 馬琴という人間についても十分描写されている

そればかりか 姑や夫に対しても欠点を憎んだり怒ったりもしながらも やがてそのようにしかできないのが人間でもあるという 寄り添う気持ちを持つようになる

ある一家の物語

風景は全く違うだろうが どの家にも物語はある 

コメント (2)
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