先日読み終えた高島俊男の『ことばと文学と文章と』には「ラバウルの戦犯裁判」という章があり そこで角田房子というノンフィクション作家の名前を始めて知った
戦前にソルボンヌ大学に留学・・・って まあすごい
それはさておき 戦犯裁判についてはほとんど知らないし また知る機会もなかったなあ
角田さんが書かれた伝記の主人公の「今村均」という人については 新藤さんの本だかで少し知った程度で 私は明治以降の歴史についても とりわけ戦前の昭和史については知っておくべきと思いつつも きな臭くて 暗くて あまり見たくない 知りたくないという気持ちのほうがずっと強いままきたので 今更戦犯について知ったところで亡くなった人は帰らないという気落ちも なくはない
でも 戦争犯罪とはなにか
戦争という状況の中で どこまで 何が許される行為なのか 何が人道に反するのか
上官の命令に従っただけのひとは 無罪だろうか
戦地となった現地の人々が軍の労働力となった時 それは軍の構成員として責任が生じるのか それとも単に捕虜なのか
兵隊として戦地で戦った父のことを思い出し 家族には言わなかった 言えなかった犯罪ももしかしたらあったのではないか そんなことも併せて思ったりもした
戦犯裁判がどこまで公平であったか それは戦勝国の捉え方でも変わっただろう
戦犯裁判に絶対的公平なんてありえないと私は思う
戦争はやっぱりしてはいけない
負ける戦争は言わずもがな
この本には「昭和十年代外地の日本語教育」という章もあって 状況は多少異なるが各地で日本語がほぼ強制的に教えられていたことが淡々と記されている
私も年配の韓国や台湾に住むひとたちがまだ日本語を覚えていることは知っているが あらためて当時の日本軍の怖さを感じた