どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

旅の記憶を辿る―9.大阪 船場ビルディング

2013年08月16日 | 日記
中之島から京阪の渡辺橋から天満橋まで乗る

ここから大阪城に向かうのだが 見るものはそれではない

「旧大阪砲兵工廠(こうしょう)化学分析場」という煉瓦造のものだ

何やらおそろしい感じのする名前である


半ば朽ちかけていた

完全放置状態らしい

化学分析場とあるけれど もしかしたら土壌は危険なのかもしれない

まさか 登戸研究所のようなところでは? だから放置したまま? などと勘繰ったりして


大阪府庁 大阪府公館を見ながら いよいよレトロビル軍団へ突入

堂々たるもの 優雅なもの 小さくてかわいらしいもの 清楚なもの いかついもの 姿はそれぞれだがそのどれにも存在感がある

一つ 雑居ビルではあるがとても良いものを紹介しよう


船場ビルディングだ

外観は控えめで決して目立つ建物では無い

しかし この中に入って見てこのビルの価値がわかる

なだらかなスロープに上階までの吹き抜け




回廊式に小さな部屋が幾つもあり 中央はパティオになっている

木製煉瓦を使い 南北に通り抜ける風が涼しさを生み出す




「環境にやさしい古くて新しいビル」との説明がされていた

1925年竣工 施主は桃谷政次朗 といってもピンとこないだろうが 「明色アストリンゼン」と言ったら耳にしたことのある人も多いかと思う(年令がばれるかも^^)

現役のビルとして使いながら保存できるというのは ビルにとってもこうして見るだけの人間にとっても なんとも幸せなこと


こうした古いビルたちは 持ち主やテナントが変わっていくこともある

そして おそらくはそのためであろう 店の看板が取り付けられ 取り外され その傷跡を見ることも多い

レトロゆえのことか

それだけを売りにするような店は おそらくいずれ衰退すると私は見ている

建物の価値を十分に生かし 多くの人に愛される仕事をしてこそ 建物も一層生き生きと輝くと思うのだ


紹介したらきりの無いほどのビルを 筋と通りを右往左往しながら沢山見たあと 最後にどうしても見たかったものがあると一度ホテルに戻り 客用のパソコンで場所の確認をする

ちょうどその時に 携帯電話が鳴った

昨日の友人が 仕事が終わったら飯でも食おうと誘ってくれたのだ

私はこれから行こうと思っているところの説明をきき 大阪最後の見学へと再び出かけた

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1 コメント

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ほほ~^^ (みらい)
2013-09-08 17:10:40
大阪って、東京よりもレトロなビルが多いのかな~?
船場ビル、ステキですね~
吹き抜けの写真を見て、
ん?六本木ミッドタウンに似てる~
と思ったのはアタシだけ?

六本木ミッドタウンは三井系みたいなのだけれど、
同じなのかしら~

建築家も、バックがいてこそだし、
やっぱり師弟関係ってあるし~ ←これはヨッコちゃんからおそわりました~

奥が深いですね~
興味深いです~
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