どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

旅の記憶を辿る―4.五龍閣

2013年08月15日 | 日記
時はとっくに12時を回っている

この日 夜中の2時に起きて軽い朝食を取ってからというもの 口にしたものは水分だけ

どこかで食事と思いつつもなかなか手頃な店が見つからず こうなったら「五龍閣」まで我慢しようと決意した

この先 清水さんまでは見るところは無いので 大通りでバスに乗る

やっぱりバスは楽だぁ~~

「清水道」という停留所で降りる


ところで 私は旅に際して 出来る限りの手製の地図を作って持ち歩くことにしている

そんなことしなくてもスマホ(でなくとも携帯でも)で検索できるじゃん って思うだろうが 私にはどうも不向きなようだ

全く土地勘の無い地域では 東西南北は太陽の位置で判断するしかなくなる

第一 区名や町名にも馴染みが無いのだ


広域を見て詳細を知る

それがわからないと 距離感も位置関係もまるで把握できないのだ

これは全てに通じると私は思っている

広い世界と今を生きる自分を見ること

過去や未来を知りつつ 現在を生きる

この視点は私にはとても大事なことなのだ

この停留所で間違いの無いことは 私のPCで印刷し貼りあわせた手製の地図でわかっていた


「五龍閣」は「旧松風嘉定邸」であり 今は株式会社順正のカフェレストランになっている

観光客の多い坂道を上り 五条坂とぶつかった先にそれはあるはずだと目をこらしながら歩いていると・・・

これだ!




とにもかくにも食事が先 時は13:30を過ぎている

と これはすでに過去の私だが 日記を書いている今 思い出しながらビールでも飲もうっと


これも武田五一の設計である

ステンドグラスと 腰板というのか それが石材なのがとても良い



この部屋はかつてサンルームであった

この石は蛇紋岩というものだそうだ

深い緑と 文字通りの蛇紋がなんとも美しい



このステンドグラスのガラスは 乳濁している

元はアメリカ あのティファニーが乳濁ガラスを確立したのだそうだ

それがいかにも大正モダンである


夏の京野菜カレー(ご飯は少なめにしてもらった) 美味しかったぁ




二階の階段までは上がって見学しても良いということだったので 食事が済んでからそれを見せてもらう

松風嘉定という人は 元々は愛知県瀬戸の職人である

清水焼から発展して洋食器 やがて高圧碍子(こうあつがいし)と陶歯製造(入れ歯)で財を成したという





お礼を述べて外に出る



鴟尾があるのがわかるだろうか

アール・ヌーボーなど新しい美を取り入れた武田五一は 後年 法隆寺や平等院などの修復にも関わったという

この手前には噴水もあり 私はそれが見える席で食事をしたのだが もしも機会があったら是非とお勧めしたい


さて この後は大阪に行くまでの途中下車 山崎が待っている

京都博物館まで歩いてから京都駅までのバスに乗った
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1 コメント

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Unknown (みらい)
2013-08-31 10:00:48
アタシも 東京を歩くときは、
地図をコピーして張り合わせて、持って歩きます~
感覚的なものだけれど、この道はこっちにつながっているんだ~
とか、けっこうおもしろいですよね、うんうん!
素敵なお店と、品の良いカレー おいしそう~^^
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