どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

徘徊報告ー目白界隈(目白ヶ丘教会)

2018年03月22日 | 日記
昨日の雨は朝まで残った

気温も天気も まあまあといったところ

鼻水もだいぶおさまってきた


先日の徘徊の続き

目白通りを渡り 山手線と並行するように南下する

目指すのは「目白ヶ丘教会」と「目白クラブ」

その途中でまた発見

なぜか道路の真ん中に一本の木


そして・・・「旧近衛邸のケヤキ」


マンションの名前につけられた「近衛町」が何を意味するのかは これでわかった

近衛といえば私が知るのは近衛文麿

荻窪(おぎくぼ)にある「荻外荘(てきがいそう)」が彼の自宅であり GHQの取り調べに出頭する期限の前夜 そこで自決したときいている

なんと棟札(むなふだ)には伊東忠太の名前のある屋敷である

では ここは?


家に帰ってから知った事だが 当然のごとくこの一帯はかつて近衛家の敷地であり 本邸があったものの 別荘としての荻外荘を作ってからはここには住まなかったようだ

近くには 文麿の父親であった近衛篤麿の記念碑や住居跡の石碑があり またかつては将軍様の狩場だったという相馬邸の跡地「おとめ山公園」もあるというから こうした土地なのだとあらためてわかる

マンションの入り口にある大木も きっとその時代からのものなのだろう

これらの木が戦前戦後 ずっと見つめてきた景色を想像して 一瞬 時の流れの中に迷い込んだような錯覚に陥る


この道をまっつぐに進むと ライトのもとで修業をした遠藤新の最晩年の作品(1950年)である 目白ヶ丘教会が見えてくる


入口の水平線や石積みなどにライトの片鱗が見られる


彼の評価は あまりにライトの精神に忠実なせいで低く見られることもあるが 教育の観点から学校建築を重要と主張していたという

この教会の鐘塔はインパクトがあり 竣工当時は遠くからでも目立ったのではないだろうか



目白クラブは明日にする

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
みらいちゃんへ (yokochann)
2018-03-28 04:56:55
特に江戸以降の歴史なら沢山詰まっているけどね~^^。
ネットで古地図を見ると楽しい。
古地図片手に歩いたら、もっと楽しいかもなあ。
時々、祖父母の見ていた東京を私も見てみたいと思うことがあります。
徘徊記はこれにて一件落着~。
ただいま、別の場所計画中なり。
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こんばんわ~ (みらい)
2018-03-27 23:03:50
さすが東京、歴史が残っていますね。
じっくり調べたら良いとわかっているのですが、
あちこち気が散ってしまって、
結局中途半端なまま出かけるワタシ・・・
ヨッコちゃんの徘徊記が楽しみです~^^
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春さんへ (yokochann)
2018-03-25 21:00:33
遠藤新の作品は、けっこうあるものね。
葉山の別荘も、水平と長く突き出た庇、石を使ったところや自由学園のような椅子やテーブルなど、もうまさにライト節です^^。
以前は時々見学会をやっていましたけれど、入口からはやや奥まっているので、どれだけ見られるかわからないけれど、見られると良いですね~^^。
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証人 (春庭)
2018-03-25 08:16:40
一本残ったケヤキ。歴史の証人、いや証木?
近衛のお屋敷はもう残されていないのだとしても、木は残したかった近隣の人々の気持ち、わかります。

遠藤新の教会、こちらはまだ残されていくでしょうから、そのうち見る機会もあるかな。
今日、葉山まで行くので、遠藤の加地利夫別邸というのを見ることができるかどうか。遠藤の息子が父親の作品を解説している「百年名家」というテレビ番組で紹介していました。
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