企業の研究部門に勤務していたときに、あるプロジェクトの責任者をしていました。
そのプロジェクトは、実験計画法を活用して問題解決を図ることを目的に結成されたもので、私が実験計画法の講義を受講していたので、責任者に任命されました。
そのプロジェクトに、私の後輩の研究者(彼も実験計画法の講義を受講していました)にも参加してもらい、実験計画法の権威である大学教授の指導を受けていました。
その教授の指導会の後に、プロジェクトメンバーで今後の活動内容について話し合っていたときに、メンバーの一人が私の後輩の提案に「○○教授の提案の方が正しいと思うので、教授の提案にしましょう」と、異議を唱えました。
それに対して、後輩が、「誰が正しいのではなく、何が正しいのかを議論すべきです。○○教授が言ったのが正しく、私が言ったのが間違っていると、誰が言ったのかで正否を決定するのは間違っていると思います」と主張しました。
それを聞いて、メンバー全員が「なるほど、その通りですね」と納得して、詳細な検討を行った結果、後輩の提案が正しいことがわかりました。
この教訓は、今でも、私が事の正否を判断するときの基準に置いています。
私達はどうしても権威のある人が言ったことは正しいと思いがちですが、権威のある人にも誤りはありますし、その人や誰かの利益のために意図的に発言している場合もあります。
「誰が正しいかではなく、何が正しいか」
物事の本質を見極める際に必要な態度ですね。
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そのプロジェクトは、実験計画法を活用して問題解決を図ることを目的に結成されたもので、私が実験計画法の講義を受講していたので、責任者に任命されました。
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その教授の指導会の後に、プロジェクトメンバーで今後の活動内容について話し合っていたときに、メンバーの一人が私の後輩の提案に「○○教授の提案の方が正しいと思うので、教授の提案にしましょう」と、異議を唱えました。
それに対して、後輩が、「誰が正しいのではなく、何が正しいのかを議論すべきです。○○教授が言ったのが正しく、私が言ったのが間違っていると、誰が言ったのかで正否を決定するのは間違っていると思います」と主張しました。
それを聞いて、メンバー全員が「なるほど、その通りですね」と納得して、詳細な検討を行った結果、後輩の提案が正しいことがわかりました。
この教訓は、今でも、私が事の正否を判断するときの基準に置いています。
私達はどうしても権威のある人が言ったことは正しいと思いがちですが、権威のある人にも誤りはありますし、その人や誰かの利益のために意図的に発言している場合もあります。
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