今朝のテレビ朝日の番組のコーナーで、100歳のジャーナリスト、むのたけじさんからの提言を取り上げていました。
むのたけじさんは、朝日新聞の特派員として戦場で取材、1945年8月15日に「負け戦を勝ち戦のように書いてきた責任をとる」と退社しました。
故郷に近い同県横手市で、社会の病巣をえぐる週刊新聞「たいまつ」を創刊し、1978年の780号で休刊するまで30年間、発刊し続け、戦後70年、一貫して「戦争絶滅」を訴え続けるジャーナリストです。
今年1月2日に100歳を迎へました。
100年の間で、最も大きな出来事は戦争だと言い切ります。
戦で殺し合い、大勢の犠牲を出すようなばかげたことのない世の中にしたい、と願って生きてきた強調する言葉は重みがありますね。
集団的自衛権や特定秘密保護法などをめぐり、日本がきな臭くなっていることが気がかりで、「ともかく今の状態では死ねない。戦争で亡くなった人達に申し訳ない」とおっしゃっていました。
むのたけじさんは、終戦直後の朝日新聞を退社しましたが、「あれは間違いで、新聞社に残って、戦争責任の追及をしなければいけなかった」と悔やんでいました。
また、「記者クラブがあるから各社が競争することがなくなり、政府発表をそのまま記事にするようなジャーナリストとは言えない記者が多くなってきた」という趣旨の発言をしていましたが、全くその通りだと思います。
新聞が読まれなくなった理由がこの辺にあるのに気がつかないようでは、新聞の未来はありませんね、
政府発表をそのまま記事にするなら、政府広報十分です。
「日本人は、戦争責任を一部の人に押し付けて自分は考えないようにしていることが問題で、これでは、また戦争に突入する」と嘆いていました。
皆が自分の頭で考えて、多くの人と議論して行動することが重要です。
100歳のジャーナリストの言葉は、胸に響くものがありますね。
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むのたけじさんは、朝日新聞の特派員として戦場で取材、1945年8月15日に「負け戦を勝ち戦のように書いてきた責任をとる」と退社しました。
故郷に近い同県横手市で、社会の病巣をえぐる週刊新聞「たいまつ」を創刊し、1978年の780号で休刊するまで30年間、発刊し続け、戦後70年、一貫して「戦争絶滅」を訴え続けるジャーナリストです。
今年1月2日に100歳を迎へました。
100年の間で、最も大きな出来事は戦争だと言い切ります。
戦で殺し合い、大勢の犠牲を出すようなばかげたことのない世の中にしたい、と願って生きてきた強調する言葉は重みがありますね。
集団的自衛権や特定秘密保護法などをめぐり、日本がきな臭くなっていることが気がかりで、「ともかく今の状態では死ねない。戦争で亡くなった人達に申し訳ない」とおっしゃっていました。
むのたけじさんは、終戦直後の朝日新聞を退社しましたが、「あれは間違いで、新聞社に残って、戦争責任の追及をしなければいけなかった」と悔やんでいました。
また、「記者クラブがあるから各社が競争することがなくなり、政府発表をそのまま記事にするようなジャーナリストとは言えない記者が多くなってきた」という趣旨の発言をしていましたが、全くその通りだと思います。
新聞が読まれなくなった理由がこの辺にあるのに気がつかないようでは、新聞の未来はありませんね、
政府発表をそのまま記事にするなら、政府広報十分です。
「日本人は、戦争責任を一部の人に押し付けて自分は考えないようにしていることが問題で、これでは、また戦争に突入する」と嘆いていました。
皆が自分の頭で考えて、多くの人と議論して行動することが重要です。
100歳のジャーナリストの言葉は、胸に響くものがありますね。
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