元朝日新聞の従軍記者で戦後、郷里の秋田県で週刊新聞「たいまつ」を発刊し、反戦を訴え続けたジャーナリスト、むのたけじ(本名・武野武治)さんが21日、老衰のため、さいたま市中央区の自宅で亡くなりました。
101歳の大往生ですね。
むのたけじさんは、秋田県旧六郷町(現美郷町)出身で。朝日新聞記者だった戦時中、東南アジアの従軍特派員を務め、1945年の終戦時に「戦争に加担した新聞社の責任は免れない」として退社しました。
1948年に郷里に近い横手市で「たいまつ」を創刊し、反戦・平和やジャーナリズムについて積極的に発言していましたね。
1978年に休刊後も講演や執筆活動を続け、今年5月の憲法記念日の護憲集会には車いすで登壇し、「戦争は始めたら止めようがない」と最後まで訴えていました。
生涯反戦ジャーナリストとしていき抜きましたね。
戦争に加担した新聞、ラジオ等に関係する人は多くいたのですが、責任を取って職を辞した人は少ない中で、むのたけじさんの責任の取り方は見習いたいものです。
戦争中に「鬼畜米英、お国のために頑張れ」と強調していた教師や大人が、終戦と同時に180度態度を変えたことに、当時の子供は「大人は信用できない、国は嘘をついて国民を騙す」と強烈に感じたそうです。
現在、テレビ、新聞等の報道に従事する人達の中で、むのたけじさんの責任の取り方ができる真のジャーナリストは、ほとんどいないでしょうね。
寂しい限りです。
ジャーナリズムに従事する人には、サラリーマン化してほしくないですね。
少なくとも、喜んで首相や与党政治家との会食に出かけるような恥知らずな人にはなってほしくない。
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101歳の大往生ですね。
むのたけじさんは、秋田県旧六郷町(現美郷町)出身で。朝日新聞記者だった戦時中、東南アジアの従軍特派員を務め、1945年の終戦時に「戦争に加担した新聞社の責任は免れない」として退社しました。
1948年に郷里に近い横手市で「たいまつ」を創刊し、反戦・平和やジャーナリズムについて積極的に発言していましたね。
1978年に休刊後も講演や執筆活動を続け、今年5月の憲法記念日の護憲集会には車いすで登壇し、「戦争は始めたら止めようがない」と最後まで訴えていました。
生涯反戦ジャーナリストとしていき抜きましたね。
戦争に加担した新聞、ラジオ等に関係する人は多くいたのですが、責任を取って職を辞した人は少ない中で、むのたけじさんの責任の取り方は見習いたいものです。
戦争中に「鬼畜米英、お国のために頑張れ」と強調していた教師や大人が、終戦と同時に180度態度を変えたことに、当時の子供は「大人は信用できない、国は嘘をついて国民を騙す」と強烈に感じたそうです。
現在、テレビ、新聞等の報道に従事する人達の中で、むのたけじさんの責任の取り方ができる真のジャーナリストは、ほとんどいないでしょうね。
寂しい限りです。
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