常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

梅雨

2012年06月16日 | 読書
午後小雨。雨の予報をうけて今週の山行は中止。妻は太極拳の研修で仙台に行く。
梅雨といっても、今年は雨が少なく、乾燥注意報が出るほどだ。今週末から、どうやら本来の梅雨の季節になりそうだ。

梅雨はウメの実が実るころに降る雨だからなづけられたという説があり、黴雨のことで雨の湿気で黴が生えやすいからという説もある。梅雨といえばうっとうしい、という実感を持つ人が多いようだ。

雨の場面を巧みに取り入れた小説がある。永井荷風の名作「濹東綺譚」である。
玉の井の盛り場をぶらぶらと歩く男がいる。

「ポツリポツリと大きな雨の粒が落ちて来る。五月雨である。静かにひろげる傘のしたから空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後方から『檀那、そこまで入れていってよ。』といいざま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。」

女の家で
「『縁起だからご祝儀だけつけて下さいね』『ぢゃ一時間ときめよう』と男が言う。
雨は歇まない。初め家へ上がった時には、少し声を高くしなければ話が聞きとれない程の降り方であったが、今では戸口へ吹きつける風の音も雷の響も歇んで、亜鉛葺の屋根を撲つ音と、雨だれの落ちる声ばかりになっている。路地には久しく人の声も足音も途絶えていたが、突然、『アラアラ大変だ。きいちゃん。鰌が泳いでるよ』という黄色い声につれて下駄の音がしだした」

私娼の家が立ち並ぶこの界隈は、家と家が密集し、雨が降ると前の小堰があふれて鰌が道に飛び出したのだろう。
迷路の魔窟といわれた玉の井はいまその俤はない。東向島5丁目、6丁目辺りがその跡地であるが、すっかり現代風の街に生まれ変わっている。

永井荷風は歩く人であった。たしかに時代は今のように交通機関が発達していないため、歩くことは当たり前のことだが、荷風はそれを趣味とし、街の様子を見、江戸の風情を求めて歩くことで、小説の想を得ていた。一人暮らしの時代には、昼過ぎに家を出て、行きつけの食事処で食事をし、方々を散策して帰るのは6時過ぎであった。時間にして6時間、距離にしておよそ10kの行程である。

昭和15年12月、荷風は浅草に出てその雑踏の様子を日記に記している。
「銀座通りより新橋停車場にかけての雑沓には、我勝に先を争はむとする険悪の風著しきに反して、浅草公園より雷門あたりの雑沓にはむかしながらの無邪気なる趣、今に猶失せやらぬところあり、観世音の御利益ともいふべきにや」
コメント
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