常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

青春とは サムエル・ウルマン

2012年06月10日 | 詩吟
この詩は、山形岳風会で地区会長を務められた横山岳桜先生の愛吟詩であった。

「青春とは人生のある期間をいうのではなく心の様相をいうのだ」

90歳を越えて、なお若さあふれる声を持つ横山先生の吟は、会場いっぱいに響いた。この詩の内容を、横山先生の吟が実践していられるかのようであった。

まず、サムエル・ウルマンの詩を新井満の自由訳で紹介する。

 青春とは

真の青春とは

若き

肉体のなかに

あるのではなく

若き

精神のなかにこそ

ある

薔薇色の頬

真赤な唇

しなやかな肉体

そういうものは

たいした問題ではない

問題にすべきは

つよい意思

ゆたかな想像力

もえあがる情熱

そういうものが

あるか ないか

こんこんと湧きでる

泉のように

あなたの精神は

今日も新鮮だろうか

いきいきしているだろうか

臆病な精神のなかに

青春は ない

大いなる愛のために発揮される

勇気と冒険心のなかにこそ

青春は ある

この詩の作者、サムエル・ウルマンはどんな人であったか。1840年、ウルマンはドイツの南部で生まれた。1851年、ウルマンは両親とともにアメリカ南部に移住、ミシシッピ川の畔にあるポート・ギブソンに住んだ。

1861年に南北戦争勃発。南軍に従軍したウルマンは、負傷し左耳の聴覚を失った。慈善活動を積極的に行い、41歳のとき、ユダヤ教の寺院創設に尽力、教会の会長にも選ばれている。家業は鉄鋼の町バーミングハムで金物店を経営した。

一生を宗教活動と教育に捧げ、弱者を救済することにもっとも力を入れ、市民から尊敬を集める人格者でり、また指導者であった。ウルマンは80歳の誕生日を記念して、お祝いに詩集を作ってもらうことになった。そのときウルマンは、巻頭を飾る一編の詩を書いた。
それが「Youth」(青春とは)である。

この詩はその後、数奇な運命をたどり、日本中に知れ渡り、詩吟でも吟じられるようになる。19世紀アメリカで尊敬を集めたとはいえ、年月とともにウルマンもこの詩の存在も人々から忘れられていった。

1945年8月、降伏した日本に設けた連合国総司令部(GHQ)の最高司令官として着任したマッカーサー元帥の執務室に大統領の写真とともにこの詩(Youth)が掲げられた。マッカーサーはこの詩を愛し、日々愛唱したのだという。

たまたま、このことを知った一人の日本人がいた。彼はこの英詩を書き取り、日本語に翻訳した。その人は日本の羊毛工業会の発展に尽力した岡田義夫であった。その訳詩を見た
友人の森平三郎が書き取り、故郷の桐生で新聞に投稿した。これを読んだ読者の反響は大きく、財界の著名人の心を動かし、「青春の会」なるものが発足する。

この財界人には、松永安左エ門、伊藤忠兵衛、松下幸之助、石田退三など錚々たる人たちが名を連ねている。

新井満はこの詩を訳するにあたって、マッカーサーが愛唱した詩とウルマンの原詩には違いがあることを見つけている。この詩を愛唱した人々が、少しづつ書き換えたものであると指摘している。

70歳を越えて、いまこの詩を読み返してみると、やはり胸にせまるものがある。新井満はこの詩が老人を鼓舞するだけでなく、若い人にも愛読して欲しいと書いている。
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