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紅花の季節がやってくる。宮崎駿のアニメ映画「思い出ぽろぽろ」で、紅花畑が美しく描かれたのもついこのあいだのことのように思うが、あれからもう十数年が経っている。
山形に住んでいると、山形を舞台にした小説や映画が不思議に気になる。
水上勉の「紅花物語」はもちろんそうだが、遠藤周作の「おばかさん」は、私が山形へきた年(昭和34年)に朝日新聞に連載されていた。旅館「後藤又兵衛」や「沼の辺」など山形の地がリアルタイムに小説の舞台として登場するので、新聞を開くのを待ちかねた。
宮本輝の「錦繍」は冒頭の書き出しが、蔵王温泉で秋の紅葉が美しく描かれていた。そこに惹かれて読み始めた宮本輝であるが、新しい文庫が出るたびに買い込んでこの作家にはまってしまうことになった。
改めて「紅花物語」を通読した。
「紅花物語」は京紅づくりの木下清太郎に職人として住み込む玉吉と、そこへ嫁ぐ山形の紅花農家の娘とく、その職人勇が織り成す紅づくり物語である。清太郎亡きあと、玉吉ととくが師の紅清を継ぎ、さまざまな工夫をして成功を収める。山形は、ここでなければできない高い品質の紅花の生産基地である。江戸時代から続く、地域の伝統農業である。
一方、京都は地方から提供される素材を生かして加工する物づくりの拠点だ。同時に加工された口紅を消費する街でもある。祇園、先斗町などの芸妓、歌舞伎役者など京紅でなくてはならない消費者が存在した。
物語は夫婦二人で築いた玉吉紅であったが、玉吉が花街に出入りするようになってから、秋子という女ができる。「五番町夕霧楼」を思い出させる、遊郭の場面が描かれる。夫婦の間に溝が生まれ、とくは玉吉のもとを飛び出し、郷里に向かう。だが時代が、戦争と不況へと大きく動き出す。
水上勉の京ことばは、悲惨な時代にあっても、美しく全編に響きわたる。
「うちの紅が・・・金賞に・・・」
いったまま、足をこわばらせていただけである。わきで勇が聞いていて
「旦はん」といった。「おめでとうございます」玉吉は勇に祝い言を云われてはじめて実感がわいた。
「ありがとうございます。課長はん・・・わしは、金賞もろたなんて・・・ユメ・・・信じられません」
玉吉の紅づくりが認められて、京都知事賞の金賞を受賞する場面である。
玉吉も勇も戦争にとられ、戦死する。あとに残されたとくは郷里に帰るが、女手ひとつで京紅を守りぬく決意をする。
まゆはきを俤にして紅粉の花 芭蕉
「おくのほそ道」の旅で、尾花沢で詠んだ芭蕉の句だ。山形には産業としての紅花はすでになく、観光用に細々と栽培されているのみだ。物づくりの日本のバックボーンを支えてきた地域へ、いまいちど目を向けてみたい。