さくらんぼが出回った。お茶菓子がわりに、赤い可憐なさくらんぼが出される。自動車を修理した帰りに、お土産にさくらんぼをいただいた。甘酸っぱい懐かしい味が、口いっぱいにひろがる。季節の贈り物に知り合いに送る準備をする。
昭和23年6月23日、玉川上水に投身自殺した太宰治と恋人の戦争未亡人山崎富江の遺体が発見された。二人が失踪してから1週間後のことであった。奇しくもその日は、太宰治の39歳の誕生日にあたっていた。この時期は、さくらんぼが出回り、ちょうどひと月前に書いた小説「桜桃」にちなんで、「桜桃忌」と名づけられ太宰の生前を偲ぶ集いが、三鷹市の禅林寺で開かれるようになった。
「子供より親が大事」。小説「桜桃」で太宰その人を連想させる父がつぶやく言葉である。白痴の長男と生まれたばかりの長女の世話に明け暮れる妻を横目に、筆の進まない小説の仕事に嫌気を抱いて飲みに出かける父の言い訳の言葉だ。
その飲み屋で、つまみに桜桃が出た。
「私の家では、子供たちにぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事もないかも知れない。食べさせたら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾のように見えるだろう。
しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供より親が大事。
この小説を書いて、2ヶ月後に太宰は心中をしている。このとき太宰はすでにぎりぎりの精神状態であった。「人間太宰治」を書いた山岸外史は、最後の会見で太宰が吐いた言葉を記している。
「君、とかげの尻尾ってやつは、切られたあとでも、まだ、ぴちぴちと、地面の上で踊っている。あれは、切られても、まだ、生きているのだ」
太宰は最後の瞬間に、ぴちぴちと跳ね回りながら、「人間失格」を書き上げたのである。