常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ラタトウユ

2016年06月18日 | グルメ


畑の収穫も忙しくなってきた。何よりもズッキーニが採れるので、一年ぶりにラタトウユを作った。玉ねぎとズッキーニは自分の畑のものだが、ナスはスーパーから、トマトは缶詰を利用した。コリアンダーのホールも自前だが、昨年収穫したものだ。小鉢でつぶして使ったが、香料としては十分だった。スープが野菜だけから出ているものなので、深い味わいがある。

老後の食生活で注意したいことは、「できるだけ野菜を多くとる」ことと続けられる限り、「自分で手作りする」ことのふたつ。スーパーやコンビニの惣菜売り場へ行けば、いつでも最低限の食料がすぐに手に入れることができる。ましてや、電話ひとつで配達してもらうこともできる。しかし、これでは生きていることの半分しかできていない。人間にとっては、食材を調達し、それをおいしく調理することも、生きていることの重要な部分だ。

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結城哀草果

2016年06月18日 | 日記


斎藤茂吉の高弟で、歌人である結城哀草果は60歳を過ぎて登山を始めた。若い人々と山に挑むことは、内なる精神を強くし、和歌の芸術性を高めるものであった。近くにある山形の山々、つまり蔵王、月山、朝日、飯豊、東北の山では安達太良山、早池峰山、燧岳、尾瀬。さらには立山の頂もきわめた。

詩人の真壁仁は哀草果の登山について、「山に登ったから高邁が生まれたというより、作家の精神が山を呼び求めているのである。山は精神の高まりををもたらすだけでなしに、もっと生命の意味や行為の美しさを、事物の刻々のうつろいのなかに感知する表現の機密を、作家にささやいたであろう。」と述べている。

ひんがしに海ひらけたる国ゆきて青山にたつ虹あはれなり 結城哀草果

結城家はいまも、本沢にあるが、詩吟の山形岳風会との縁も深い。本沢教場に所属し、長く広報部員を務められた結城美雪さんは、哀草果の子息結城晋作さんの奥様である。本沢教場では、哀草果の和歌をたくさん吟じ、勉強されている。

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