種田山頭火は、昭和7年6月6日、九州行乞記に最後に次の句を書き記している。
捨てたものにしづかな雨ふる
山頭火はなぜあらゆるものを捨てて、漂泊の旅に出たのであろうか。家にあっては旅に憬れ、旅にあっては家に憬れる。この堂々巡りの繰り返しから抜け出ることができなかった。捨てた妻子の場所までを安息所として選び、迷惑をかけすぎて寄りつけなくなると、草庵に憬れる。旅にあっても酒にはしり、愚行を繰り返す。そして最後には慚愧して反省しながら、己の命をすりへらして行った。
水を渡って女買ひに行く
山頭火の心のさみしさやいらいらを鎮めるたった一つのものは、温泉宿の湯であった。「さみしくなると、いらいらしてくると、しづんでくると、とにかく湯にはいる。湯のあたたかさが、すべてをとかしてくらる。」こう書付けて、九州の行乞の旅も終わりを迎えた。泊まっていた温泉宿では、宿の主人夫婦が喧嘩をして、やたらに子ども泣かしている。旅の山頭火の眠りを奪った。眠れなければまた熱い湯に入るほかはない。