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サクランボの実が色づいてくると、太宰治の桜桃忌が巡ってくる。太宰治が遺書を残して、山崎富栄と行方知れずになったのは、昭和23年6月14日のことであった。そして二人が玉川上水で遺体が発見されたのは6月19日のことである。この日は奇しくも太宰の39回目の誕生日であった。
太宰治の絶筆となった小説は『グッド・バイ』である。朝日新聞に連載を予定した作品で、その第1回分が6月21日に掲載された。つまり玉川上水から遺体が上がった後に連載が始まったのである。その後、「朝日評論」第7号に「作者の言葉」を付して全文が掲載された。
太宰が書いた「作者の言葉」は次のようである。
唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私の或る先輩はこれを「サヨナラ」
ダケガ人生ダ、と訳した。まことに相逢ったときのよろこびは、つかのまに消えるものだけ
れども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情なかに生きていると言っても過言ではあ
るまい。題して「グッド・バイ」現代紳士淑女の、別離百態と言っては大袈裟だけれども、さ
まざまの別離の様相を写し得たらさいわい。
怪力の持ち主である永井キヌ子と絵のモデルの水原ケイ子との話が語り始められるが、話の途中で小説は終わってしまう。この小説の題名のように、太宰はこの世からグッド・バイをしてしまった。井伏鱒二が訳した「サヨナラダケガ人生ダ」の一句は、太宰の最後の瞬間に大きなインパクトを与えることになったのである。