雨上がりの千歳山に登った。梅雨に入って、山の緑が目にしみる。千歳山を山形のランドマークという人もいる。なるほどと納得できる。初めて山形にきて、電車を降りて山形駅に降り立つと東正面に端正な三角錐を見せる千歳山が先ず目に入る。上山市と境にあるみはらしの丘からも、市街地の右手の山側に目立つ山が千歳山だし、笹谷峠から山形神室へ登る尾根道からも、千歳山のなつかしい山容が見える。
この山の南麓にある集落が平清水である。平清水家はいまもあるが、かってはここの大地主で名主であったらしい。この名主に家を隠れ家として住んでいたのが、京都の貴族の娘、阿古耶姫である。千歳山の麓の平清水の集落を縫うように流れるのが恥川である。阿古耶姫はこの川を越えるたび、集落の人々行き会う。着物の裾を上げて、白い脛が集落の人たちから見えてしまうので、姫は常々「恥ずかしい」と思っていた。ある日、川のなかで恥ずかしい思いに駆られ、膝をつくと、川の水は地下に潜って、たちまち石ころの道になった。川の水はしばらく地下に潜り、福の神というところで、また流れになった。
恥川伝説である。阿古耶姫の思いが、この川を恥川という名の由来となり、この川がかっては伏流水であったことを暗示する。奥羽山脈から西へ流れ、最上川に入る河川は、伏流水となって流れることが多い。馬見ヶ崎川も小白川天神の裏から、沖村まで伏流した。夏、この川に遊びに行っても水はなく、石がごろごろとある河川敷である。大雨で上流のダムが放流されると、水を湛えた川になる。