goo blog サービス終了のお知らせ 

常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

カセイマル

2016年06月13日 | 


我が家のサボテン、カセイマルが大きな花をつけた。もう20年近くも前に娘のところから持ってきたものだ。先ず驚くべきは、その寿命の長さ。そして成長の遅さ。もっともこれは鉢の大きさにあるのかも知れない。そして本体に比べての花の大きさと豪華さである。この鬼の耳のような大きな花に加えて、小さな花芽も出ている。大きな花が終了してからまた咲くのかも知れない。

フォークソング財津和夫の「サボテンの花」のメロディーが懐かしい。出ていった恋人が育てていたサボテンは、まだまだ生きているようなきがする。このサボテンはカセイマルという名だが、マルとついているのは本体の形が丸いからであるらしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千歳山阿古耶の松

2016年06月13日 | 民話


千歳山の山頂に阿古耶の松跡と彫られた石碑がある。年代の古いものと新しいものの二つだ。その碑を囲むように松があるが、写真のような松枯れである。山中の松はこの松枯れで何本伐り倒されたのか、数えようもない。大木は小さくされて積まれ、ビニールで覆われている。下へ運んで利用する様子もない。こんな松の姿を見て地中に眠る阿古耶姫はどんなに心を痛めているだろうか。阿古耶姫の伝説はいろいろに語り継がれているが、千歳山の頂上に亡骸を埋めたものがある。

中将姫に阿古耶姫という妹があった。父藤原豊成が罪を受けて遠国へ流刑となったとき、近侍の某が姫を連れて東国に逃れた。苦しい旅を続けて、某の故郷である出羽の平清水村に辿り着いた。淋しい片田舎で生きる甲斐もなかったが、忠義者の某の献身的な心づくしで、旅の憂さも忘れ、都へ帰る日を待ち焦がれていた。けれども、そうしているうちに姫は重い病の床についた。もう助からぬ命と悟った姫は、「死後は千歳山の頂上に亡骸を埋めて、しるしの松を植えて欲しい」と遺言し、短冊に辞世の歌を記した。

消えし世のあと問う松の末かけて名のみは千代の秋の月影

年を経てそのしるしの松は、阿古耶の松として語り継がれている。いまそのしるしの松は枯れて山中に積み重ねられる運命となっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする