市街地では年々田がなくなっている。少し郊外に行くと、戸を開けると稲を植えたばかりの田が広がっていたものだ。田植えのために水を入れると、すぐにカエルの大合唱が始まった。だが耕耘せず、雑草の天国になってしまった光景があちこちで見られる。やはりそんな光景を見ると淋しい気がする。米の消費量が減っているし、田を作る人もだんだん減っていくのだから、仕方のないことなのだろう。
市街地だけでなく、農地ばかりのある地方、親戚のある尾花沢でも、後継者のいない農家は、田だけでなく特産のスイカも止めてしまう農家も多い。瑞穂の国と言われていたが、若者は村を離れ、農家の担い手はどんどん減っていく。国内にある田が捨てられ、米は外国からの輸入品にとって代わられてしまうのだろうか。攻める農業などと政府がいうが、田舎に住む人がいなくなってしまえば、それはあり得ない話だ。山河と田畑という日本の原風景は確実に失われつつある。
遅れ田を植うる阿修羅の老夫婦 杉山 岳陽