常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

十六夜の月

2016年09月18日 | 日記


満月が10日の未明に西の山の端に落ちて行くのを見た。雲の間に大きな月の姿であった。満月を望月ともいう。今日は十六夜で、いざよいの月とも言う。残念ながら台風の影響か雨で、月を見ることはできない。なぜいざよいの月と言うかというと、満月に比べて十六夜の月は、日没をだいぶ過ぎたころ、躊躇うようにでてくる様子をいざよいと呼んだ。十七夜になると、月の出を立ち尽くして待つほどに出が遅くなる。そこで呼び名も立ち待ち月、その翌夜はもう立って待つこともできないので居待ち月。月の呼び名をこんな風に呼び習わしてきたのは、月を友にして過ごして来た日本人の暮らしの歴史があったからであろう。

月の名をいざよひと呼びなほ白し 竹下しづの女

以前、ネットの仲間に十六夜さんという方がいた。私はホームページ作りもできず、「漢詩おりおり」というコラムを書き、十六夜さんがデジタルにしてアップしてくれた。漢詩を検索していると、以前書いた断片が出てくることがある。今となっては懐かしい思い出だ。十六夜さんがその後どうしていられるか、知る方法もない。私の記憶のなかに、美しい人として生きている。
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摩耶山

2016年09月18日 | 登山


今週の山行は鶴岡市の旧朝日村と旧温海町の境界にある摩耶山である。標高1020mに過ぎない山であるが、全山が花崗岩からなる岩峰で、日本300名山に数えられる。その岩峰が実感できるのは、小国川の渓流に沿って登り、川の対岸に姿を現すウノスノ倉とカジ倉の断崖だ。そこから更に渓流沿いの登山道を行くと、弁財天滝が見えてくる。登山道は、その滝の傍らに垂直に掛けられたハシゴの先に続いている。そこから、摩耶山の頂上を目指すが、丁寧に刈り払いされて、歩きやすい登山道である。最後の高度200mは、直登の急坂になっている。

摩耶山の名を聞いて、誰もがこの山が信仰の山であったことを想像するだろう。山頂の木々のある場所を地元の人は駒の森と呼ぶが、神話の時代に須佐之男尊が、国土平定の途次龍馬に跨ってこの山に登り、馬を繋いだところという伝説がある。そのためか、かってこの山は厩山とも表記されていた。また、金峯修験の奥掛修験の霊地とであり、摩耶山権現として尊崇を集め、この山に参拝のため登る人が絶えることがなかった。江戸時代になって、庄内藩は、この山に登ると天候が大荒れになるという理由で登山を禁じたが、隠れて礼拝のために登る人はあとを絶たなかった。

日本海から東の山地を眺めると、摩耶山の際だって山容は、航海の目標としても認識されてきたことであろう。越後からの進入路として使われることを嫌って、この山への入山禁止としたこともうなづける。



この日山頂からの眺望は、霧に覆われて失われていた。わずかに奇形をなす鉾ヶ峰の山頂が見えるばかりであった。頂上で横浜からやってきた4名のパーティーに出会った。「300名山に敬意を表してやってきたんですよ」という。東京発の夜行バスを使い、今日は鶴岡で宴会。明日は秋田の太平山に向かう予定とのこと。地元の人でも、この季節には登る人は少ない。登山口の駐車場も、我々のチームに他には一台の車があるのみであった。そんな中、遥々関東からの人がいるのに驚いた。みちのくの山を十分に堪能して帰ってほしいと思う。

本日の参加者11名、内女性6名。そしてこの山に初めて登る人は7名であった。1000m級の低山でありながら変化があり、そして地元の人たちによって管理されて登りやすく、山歩きの醍醐味を十分に味あわせてくれる山であった。



帰り道はコースを尾根道にとる。振り返るとブナ林に隠れるよう頂上が見える。こちらのコースを帰路のすると、危険も少なく快適である。六体地蔵が、山行の安全を祈るように置かれてあった。この山が深緑や紅葉に輝くとき、また玄冬の雪のなかで、さらに素晴らしい景観になることを想像しながら、一行は無事に山行を終えた。登山開始午前8時、下山3時30分。

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