常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

文鳥

2016年09月15日 | 日記


漱石の『文鳥』を読んだ。漱石に文鳥を飼えと勧めたのは、門下の鈴木三重吉である。三重吉は漱石から5円の紙幣を受け取って、籠と文鳥を買って漱石の家に持ち込んだ。小宮豊隆と二人がかりで、籠を二つ、籠を入れる箱、餌壺に水入れ。籠の台には漆が塗ってあり、籠の竹は細く色づけがしてある。肝心の文鳥は、籠のなかにうずくまっているが、白くてきれいな鳥である。全部しめて5円、その日から漱石の文鳥の世話が始まった。

餌を与えるために籠の戸を開け、大きな手を差し入れると、文鳥は驚いて大きく羽ばたく。しかし、餌と水を入れて、戸を閉めると、文鳥は首をひねって餌壺を見る。そして漱石を見て、ちちっと鳴く。餌を通して、飼い主と文鳥にはじめてコミュニケーションが取れた瞬間だ。漱石は猫だけでなく、小鳥にも愛情を感じたことをうかがわせる好エッセイである。

漱石は小説を書いているから朝はあまり早く起きない。大抵8時ころだ。鳥はもっと早く目覚めているはずである。だんだんに、朝文鳥を箱から出し餌を与えるのは、女中の仕事になっていく。猫が籠をひっくり返すという事件が起きたりもする。それでも、漱石が文鳥の姿を見ない日はない。その姿に、以前好意をを寄せた女性の姿に重ねたりしている。

悲劇は突然起こった。三重吉の呼び出しで、文鳥の姿を見ずに出かけ、帰っても娘の縁談などにかまけていると、籠のなかで死んでいる文鳥を見つけた。

「自分はこごんで両手に鳥籠を抱えた。さうして、書斎へ持って入った。十畳のまんなかへ鳥籠を卸して、その前にかしこまって、籠の戸を開いて、大きな手を入れて、文鳥を握って見た。柔らかい羽根は冷え切っている。」

漱石が文鳥の死を見てうろたえている様子が伝わってくる。いつか我が家の飼い猫が、死んだ朝のことが思い浮かんだ。娘が大声で泣き、妻も必死で涙をこらえていた。漱石の文鳥への思いやりが、この小品のなかに溢れている。
コメント
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