常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

吉田松陰

2017年01月05日 | 詩吟


吉田松陰が、反幕旗揚げや要人殺害計画の咎で処刑されたのは、安政6年10月26日である。幕閣の取り調べで斬首を免れないのと知った松陰は、獄中で2通の遺書を書いている。一通は10月20に書いた「永訣書」で、父と兄、叔父に宛てられたものである。もう一通は処刑の前日に書かれた『留魂録』で、こちらは松陰が諸友と呼んでいた松下村塾の塾生に宛てたものであった。

この2通の遺書には、冒頭に松陰の心の叫びとも言える和歌が示されている。「永訣書」には、

親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらむ

が冒頭にあり、母には追記のような形で、首は江戸に葬り、萩には平生使用していた硯と書を祀り、墓には「松陰二十一回猛士」とだけ書くように依頼している。

もう一通の『留魂録』の冒頭のには

身はたとひ武蔵野の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂 二十一回猛士

の歌がある。ところでこの二十一回だが、これは吉田の字を分解して二十一回と読み、死ぬまでに21回の全力をこめた行動を起こすことを誓っていたものであった。留魂録で松陰が塾生に伝えたかったことは、大事をなすためには生死は度外視する覚悟が必要ということであった。

松陰は30歳で世を去ることになったが、その人生に四時があるという死生観を語っている。農事でみると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈とりとり、冬に貯蔵する。冬には酒を作って村には歓声があがる。この収穫期を迎えて悲しむものがあろうか。自分の死も、この実りを迎えたときなどだ。どうか私の死を悲しまないで欲しい。

この2種の辞世の和歌は、詩吟の吟題になっている。「親思ふ」の方は、今年度の優秀吟の課題吟でもある。いま私は日々この歌を練習して2月の予選会に臨む。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする