2日、うす曇りで、これから雷や雨になるという予報がアナウンスされている。以前は、2日の日には、親戚の年始回りなどに出かけたものだが、今では出かける先もない。宮本常一の『民間暦』をみると、2日の行事は「門あけ門おとない・わざ始め・初山踏み」となっている。そういえば、以前は元日に富神山に登り、山頂の神さまに参拝するのが、山の会の恒例であったが、いまはこの行事も中止となってしまった。
考えてみれば、戦後の高度成長で一番変わったものは、人と山との関係であろう。かつて山は山麓の人々の生活保障する場であった。正月2日にはどこの山でも山始めの行事が行われていた。上記の『民間暦』によると、長さ1尺ほどの木札を作り、これに集落の人々が思い思いの字を書く。例えば、「山川仕合吉、山吉林業部、黒木丸太一千万本」など景気の良い字であれば何でもよかった。この木と鰯の頭や魚一尾、米、団子などをもって、山麓の神社に打ち揃って出かけて奉納した。
奉納が終わると集落の当屋に帰って射的をする。鉄砲を打つのだが、これを矢始めと言った。それが済むとお神酒をいただく。そのあとは、みんな揃っての酒宴となる。
山の神に奉る歌として
祝い芽出度の若松様は枝も栄えて葉も茂る 面白や
この歌は、山形の民謡「花笠音頭」の歌詞一番に入っている。ここ山形でも山の生産を予祝し、一家の予祝が行われていた証左といえるのでないだろうか。山形に人々にとって、山との関わりは、今では考えられないほど密接であった。
目出度目出度の
若松様よ
枝も (チョイチョイ)
栄えて葉も茂る
(ハ ヤッショ マカショ シャンシャンシャン)