常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

不断草

2017年01月24日 | 農作業


ナツナ(夏菜)を植えて、晩春から秋遅くまで収穫して食卓にのせた。葉が大きく成長するのにいつまでも柔らかい。実に重宝する野菜である。唐チサとも云われ、不断草とも言われる。この野菜は、野菜作りを始めたばかりのころ、どの野菜も収穫が始まっている時期でも作りやすい野菜として知人から教わったものだ。妻は戦後、食料のない時代に、食べる野菜は決まってナツナで、あまり好みではなかった。しかし、コマツナやホウレンソウを植えて失敗したが、ナツナはよく育った。食べるとおいしいので、妻の抱いていたイメージも良くなった。

新関岳雄先生が昭和58年頃、山形新聞に連載した『文学の散歩道』という本がある。その一項で紹介されているのが、山本周五郎の短編『不断草』である。米沢藩の下級武士の妻菊枝は、ある事情で離縁されてしまう。しかし、その夫も罪を受け追放の身になってしまう。離縁されても夫を忘れられなかった菊枝は、姑の身が案じられてならない。実は姑は目が不自由で、自活できない身であった。菊枝はこの姑が、唐チサが大の好物で、種を絶やさないようにといつも言っていたことを、よく覚えていた。

菊枝は名を変え、身を隠し女中として姑の家に住み込んだ。畑の空き地に、祈るような思いで唐チサ、つまり不断草の種を蒔いた。「一粒でもいいから芽を出しておくれ。」その願いがかなって成長した唐チサを、夜の食卓に出した。

「姑はひと箸でそれと気づいたらしい、いつもは表情のない顔がにわかにひきしまり、ふと手をやすめてじっと遠くの物音を聴きすますような姿勢をした。菊枝はどきっと胸をつかれた。姑のそんな姿勢はかつてないことだった。
「気づかれたのではないか」とおもった。しかし姑はしずかな声で云った。
「これは唐チサですね」
「・・・はい」
「これは不断草ともいうそうで、わたしのなによりの好物ですよ、不断草とはよい名ではありませんか。断つときなし、いつでもあるというのですね、不断草・・・ずいぶん久方ぶりでした」
「お気に召しましてうれしゅう存じます」菊枝はほっと息をつきながら云った。

我が家の不断草は雪の中、雪が融けると2年目の新しい葉が伸び始める。
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