1月9日に恒例になっている山形岳風会の初吟会があった。新年早々に、吟友と酒を酌み交わすのは特別の楽しみがある。来賓の乾杯の音頭に、「今年は酉年、サンズイをつければ酒になる。地元のおいしい酒を酌み交わしながら楽しいひとときを」という愉快な話もあった。会場は天童温泉の滝の湯ホテルだけに、鏡割りの樽は地元の出羽桜のものであった。
恒例の初吟会で特筆するものはないが、吟詠の詩に注目している。今年取り上げるは上山地区代表のSさんが吟じた斎藤茂吉の「一本の道」である。斎藤茂吉は上山に生れただけに、この地区の人々にその和歌は愛されている。先年亡くなられた安食岳帥先生は『斎藤茂吉秀歌朗詠集』を刊行し、その吟の普及に努められた。「一本の道」はその本の序文に紹介されている。
あかあかと一本の道とほりたりたまきわる我が命なりけり 茂吉
この歌は大正2年の秋に詠まれたものである。師である伊藤左千夫が亡くなられて時を置かずに詠まれた。茂吉は『作歌四十年』で、自らこの歌について解説している。
「秋の国土を一本の道が貫通し、日に照らされているのを『あかあかと』表現した。貫通せる一本の道が所詮自分の『生命』そのもである、というような主観的なのもで、伊藤左千夫先生の没後であったので、おのずからこういう主観的なものなった」と述べている。先生亡きあと、いよいよ自分が進むべき一本の道を見つめている茂吉の姿がそこにある。
詩吟を聞いてそこまで穿鑿する必要もないだろうが、若い人が参加しない吟詠の道は、いま夕日に照らされて明々と貫通している。吟詠の世界でいま求められているのは、茂吉が抱いたような気概であるような気がする。