常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

大寒

2017年01月17日 | 日記


暦の上では、今年は20日に大寒を迎える。一年で一番寒い季節だ。ここ10日ほど居座っていた寒気がようやく峠を越し、少し緩んでいる気がする。20日から週末にかけて、再び寒気の張り出しがありそうで、大寒が去っていくのを身をこごめてやり過ごすしかない。唐の詩人杜甫は、暖かいはずの南方の四川州で雪に降られ、打ち震える経験を詩に詠んだ。

漢時の長安雪一丈

牛馬毛寒くして縮んで蝟の如し

楚江巫峡氷懐に入り

虎豹哀しく号んで又記するに堪えたり

牛馬の毛が針鼠のようになるとか、虎や豹が寒さに耐えられずに鳴き叫ぶ、など誇張のきいて表現をしているが、寒波を経験するとその誇張もうなずくことができる。だが、一陽来復、冬至を過ぎてひと月、昼の時間は確実に長くなりつつある。
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春を待つ

2017年01月17日 | 日記


人間の感情などというものは実にいい加減なものだ。松の内まで余りの少雪に、春の気分を味わいながら、その異変をいぶかっていた。ところが、一旦雪に降られて周り中が雪景色になってしまうと、春を待つ心を思い出してしまう。本棚を眺めて、取り出したのは島崎藤村の『春を待ちつつ』。藤村はこのエッセーのなかで、青春時代に作った一篇の詩を再録している。

心の宿の宮城野よ
みだれて熱きわが身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ

ひとり寂しきわが耳は
吹く北風を琴と聴き
悲しみ深きわが目には
色なき石も花と見き

この詩のあとに、藤村は自分の前に立ちはだかった苦難に触れている。「前途は暗く胸のふさがる時、幾度となく私は迷ったり、つまずいたりした。」藤村はそんな青春の暗い時代を、冬の厳しさになぞらえている。そして藤村は結論付ける。「眼前の暗さも、幻滅の悲しみも、冬の寒さも、何一つむだになるもののなかったような春の来ることを信じぜずにはいられない。」

人間はこんな現実をくり返しながら、年を重ねていくのであろう。藤村の詩には、青春の苦悩や甘美があふれているが、そのまま人生の縮図になっている。
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