菜の花
2020年04月07日 | 花
菜の花はアブラナ。この種から油を採り、食用にしたり、灯火に使った。輸出入が盛んでなかった時代には、日本の農村でも盛んに栽培された。私も北海道の貧しい農村に生れたが、家でアブラナを栽培し、その種から油を搾っていた。油を搾る機械を買って、わずかの油をとったのだが、いかほどの収入になったのか、覚束ない。そんなことをする農家はなく、変わり者とみられていた。
いま住んでいる近所に咲いているのは、五月菜や茎たちなどアブラナ科の野菜たちの花である。花を咲く前に収穫して食べるのだが、取り残したものが花を咲かせる。油の原料を作付けするような農家はほとんどない。
菜の花や油乏敷小家がち 蕪村
菜の花を見てすぐに思い出すのは蕪村の句だ。「菜の花や月は東に日は西に」などは学校の教科書に載り、誰もが覚えている。江戸の街が大きくなり、どの家でも灯火をとぼして夜を過ごすようになると、農村では競ってナタネが栽培された。主食になる麦畑にも植え付けるようになり、こうした作付けに禁止令が出るほどであった。とくに蕪村の住む京阪はナタネの栽培が盛んであった。
この句では菜の花が輝く畑に比べて、小さな家家では、窓の写る灯は油が少ないようにぼんやりと心細いとした。それほどに、菜の花畑は広く、どこまでも続いていた。現代であれば、火力や原子力による電気が供給されて、夜の生活に不便はない。しかし、灯油の時代から、人間は便利な生活と引き換えに多くのものを失ってきた。東日本大震災大震災で失ったもの大きさは、その象徴である。便利なものを追求した結果、ウィルスのような負の財をも世界は共有しなければならない。