『日本百名山』を書いた深田久弥は、石川県加賀市大聖寺の生まれである。私はここに足を踏み入れたことはない。私の母の家が福井にあり、そこから北海道の開拓に行ったので、どこかその土地のDNAが身体の一部に入っているかも知れない。そこの本光寺に深田の墓がある。その側面に「読み、歩き、書いた」という文字が刻まれている。スタンダールの文学を自分の血肉とした深田は、その墓に「生き、書き、愛した」という文字が刻まれていることに因んだものだ。
深田久弥は歩くことに、生き、成長していることを感じる人であった。中学はお隣の福井中学へ通った。深田は「歩く喜び」というエッセイのなかで、学期の試験が終わって大聖寺の家に帰ろうとして、ふと思い立って、歩くことにしたと書いている。今、スマホのマップでみても、おそらく20㌔はあろうかと思われる。昼過ぎに福井の駅から歩いて、大聖寺の自宅に着いたのは夕刻7時であった。その心境をこんな風に書いている。
約8里の道のりをただ一人、幾らかの不安と幾らかの冒険心を抱きながら、小倉服の肩にカバンを下げた13歳の少年がトットと道を急ぐ姿が、今私の心に浮かぶ。歩いて帰ったと知って家の者はおどろいたが、私にも何か一つのことをなしとげたいう気持ちがあったのであろう。歩くことに自信がついた。と同時に歩く楽しみを覚えた。
それから深田は歩くことに興味を覚えた。参謀本部の5万分の一の地図、大聖寺、永平寺、三国、福井の4枚を手に入れ、その地図に歩いた道を赤線を引いていった。深田がその後始める山登りも、この歩くことの延長線にあった。
私にも小学校のころから歩いた記憶が身体に染みついている。乗り物などのない田舎道である。嫁いだ姉の家まで、10㌔ほどの道を弟を連れて歩いた。学校まででも4㌔以上はあったであろう。雨の日も、雪の日も、たった一人で歩いて通ったことを忘れることはない。遠足から帰ると、疲れて翌日の昼近くまで寝たことも覚えている。歩くことが生きること、我々の世代が実感した体験であった。