ブログには日々の楽しみを書くようになった。7月に生れたひ孫はもう三月になる。孫が折にふれて写真を送ってくれる。スマホの動画で送られてくるから、新しい写真が来るたびに、成長の様子が手にとるようにわかる。喃語で問いかけに応えたり、キャッキャと笑うなど生れて間もない児の成長が楽しみである。妻などは、動画を見ながら、写真に語りかけている。あきもせずに、何度も何度も、スマホを開く。
不思議なことだが、買った本に、生後間もない子どもの能力についての記載にぶつかる。ひ孫の写真が来るのと、本の項目が一致する。外山滋比古『「忘れる」力』。その一項に「文法の創造」があるが、生後間もない児の言葉について書かれている。
「ことばをまったく知らずに生まれてくるのに、三年もすると、例外なく、ことばがわかり、使えるようになっている。驚くべきことだ。その間にまわりでしっかりことばを教えることがないのにである。もちろん、”先生”はいる。母親である。」
この本の現場が、孫とひ孫の間の会話の、動画で知らされる。ひ孫は母親の言葉を理解しているとは思えないが、さも分かったような喃語で相づちを打っている。生後間もない児が、ことば使って母にふれている瞬間。母とのつながりは、こんなささいなやりとりで実現していく。生まれたばかりの子には、驚くような能力を等しく持っている。10歳で神童という言葉があるが、その能力が失われずに育っていくことを願うのが、生い先の短い老年の心だ。