気温が下がって、公園のカエデも色づいてきた。あれほどみごとな花を木いっぱいに咲かせた金木犀はすっかり花を落した。木のもとには、黄色い花が散りつもった。曼珠沙華の花は、黒く萎んで華やかさを無くしてしまった。秋が淋しいのは、こうして一つ、二つと花が消えていくせいであるのか。残る木の葉のかげに、元気に鳴きながら飛ぶヒヨドリ。親水公園の水のせせらぎが、せめてもの季節の名残りをとどめている。
明け方の気温がさがると、露が畑や草地に降りる。24節季には白露や寒露があることでもそのことが知れる。秋晴れが続き、雨が少ないときは、この露が植物には命をつなぐものである。歳時記では露は秋の季語になっている。その一方で、葉に置いた露は、陽が登るとたちどころに消えていく。そのために、はかないものの象徴として詠まれていることがある。小林一茶は、高齢になった妻を迎え、子を設けたが、幼子が次々と亡くなる哀しみに会った。長男の死に続き、長女さとを亡くしたとき、一茶はこんな句を詠んだ。
露の世は露の世ながらさりながら 一茶
季語の露を多く使った俳人に飯田龍太がいる。山梨の山麓の里で、秋の深まった足元のにはびっしりと露がいつものように宿る。昭和28年の句に
草露や戦禍の怒りさへいまは 飯田龍太
自然の営みの変わりない季節に比べて、あの戦禍の怒りが、心の中でうすらいでいくことへの淋しさ、空しさ。秋は人の心にさまざまな思いを抱かせる。