常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

彼岸の中日

2017年03月20日 | 日記


彼岸の中日である。妻の実家の墓参りをする。もうこの地には、墓に参ることができるのは、妻だけしかなく、盆と彼岸は墓参りが定番の行事のようになっている。生死流転の人生の浮世に迷うこの世は此岸(しがん)と言われ、その対岸にある煩悩を超えた悟りの境地を彼岸という。仏教の用語で、ひらたく言えば死んだ後の世界ということである。この日は24節気の春分で、昼夜の長さがほぼ同じになる。「暑さ寒さも彼岸まで」という俚諺があるが、この日になるともう冬の寒さはやってこないと言われてきた。

山登りや野遊びに適した季節。農事始めの行事も各地で盛んに行われる。豊作を願って、子どもたちが藁をもらい集め、丘の高みで火を焚き、枯れ草を燃やす野火が行われるのもこの時期である。とは言うものの、彼岸を過ぎて寒気が来るのも珍しいことではない。正岡子規にこんな句がある。

毎年よ彼岸の入に寒いのは

この句は一緒に住んでいた母の言葉そのまま句になったものだ。子規が彼岸に寒かったので「彼岸だと言うのに寒いね」と言うと、母が「毎年よ、彼岸の入りに寒いのは」と答えた。子規はその言葉がそのまま俳句になっているのに気づいた。今で言う、偶然俳句ということか。(先日偶然和歌という題のブログを書いた)今日の中日は、13℃で温かく、句のような寒い日ではなかった。
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春の雲

2017年03月18日 | 日記


久しぶりに春めいた陽気。空の雲にも表情がある。戸外に出るが、田や畑はにはまだ人の手が入らない。一番に咲くイヌフグリが日を受けて、いっぱいに花びらを開いている。庭先で、花壇の手入れを人に挨拶をする。しっかりと草を取って、春の花が咲くのを待ちかねている様子である。空は写真に撮ると青空だが、陽ざしと微妙な微粒子が、いくぶん白んで見える。その先に、面白い形の雲が、遊んでいるように浮かんでいる。

鳥声を呑んで地に有春の雲 暁 台

孫たちが高速道を北上中。ラインで刻々と車中の様子を知らせてくる。流山から高速で6時間、昼過ぎにには元気な顔を見せる。
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オオイヌフグリ

2017年03月17日 | 


今日もまだ寒いが日がさしている。春がだんだんと本格化して来るのと、オオイヌノフグリの咲き方に関係がある。枯れ草を覆うように土手一面を占めて咲くと、やはり彼岸が近い。すぐに思い出すのが、高濱虚子の句だ。

いぬふぐり星のまたたく如くなり 虚子

まことに花の咲く様子をみごとは写し取った名句だ。土手をさらに進むと、紅梅が青空に咲き、紅色のマンサクが咲いていた。山中の黄色はいつも見ているが、赤いマンサクは初めて見る。この春の新しい発見だ。明日、娘と孫たち一家が一年ぶりに来る。

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ヒヨドリ

2017年03月16日 | 日記


屋根に雪が積もると、ヒヨドリがベランダにやってくる。春先にリンゴ、キュウイなどを置いたが気に入ったのか、旺盛な食欲を見せる。一度に食べる量はさほどでないが、半分に割ったリンゴなど3、4日でなくなっている。食べ物がなくなると他を探しているのかと思っていたが、またリンゴが置いてないか、確かめるように飛んで来て確認をしている様子だ。その様子に催促されて、キュウイを半分に割って置くと、これはリンゴより速い速度で食べ尽す。

リンゴもキュウイもなくなったベランダを、手すりに止まって探す様子を見せる。ふかし芋を半分に切って置く。どこかで芋を置くのを見ているのだろう。置いて数分も経たぬうちにやってきて、盛んに食べる。よほど気に入ったのか、食べた後もベランダの手すりに止まっている。一日の大半を芋のあるベランダの近くに居座り、気が向けばまた芋のところにきて食べる。大きくはないが、芋は一日でなくなる。おそらく毎日来るヒヨドリは決まった一羽だろう。とにかく注意深くて写真を撮ろうと少しでも近づくとあっという間に去って行く。

このあしたまぶしき雪に鵯の声 悌二朗
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夕陽

2017年03月15日 | 漢詩


未明に雪、春は逡巡してとどまっている。一昨日の夕方にには、山の端に夕陽が美しく沈んでいった。幕末の女流漢詩人に、亀井少琴がいる。福岡の漢学者亀井昭陽の娘で、少女のころから詩作に才能を現していた。少琴が漢詩の素材にしたのは、自らが住んでいた博多の姪の浜の自然であった。漢学者の家に育ったとはいえ、その詩才には目を見張るものがある。

 江春晩望

古寺の疎鐘 水湾を渡り

紫煙偏に鎖す 夕陽の山

春江練の如く 流光遠し

一片の蒲帆 月を帯びて還る

詩の意味を見てみると、疎鐘はかすかな鐘の音。遠くからかすかに聞こえてくる古寺の鐘の音が入江の水を渡ってくる。紫の霞が夕陽に照らされた山の姿を隠そうとしている。春の入江の波は練り絹のように白く輝き、光となって遠ざかっていく。おりから一隻の帆舟が、月を背にして港に戻ってきた。

夕陽と出たばかりの月、海の波は白く輝き、その上を一隻の船が帰ってくる。この故郷の景色を少琴は、余すところなく詠みこんである。この詩は少琴が18歳のときの詩稿である。

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