彼岸の中日である。妻の実家の墓参りをする。もうこの地には、墓に参ることができるのは、妻だけしかなく、盆と彼岸は墓参りが定番の行事のようになっている。生死流転の人生の浮世に迷うこの世は此岸(しがん)と言われ、その対岸にある煩悩を超えた悟りの境地を彼岸という。仏教の用語で、ひらたく言えば死んだ後の世界ということである。この日は24節気の春分で、昼夜の長さがほぼ同じになる。「暑さ寒さも彼岸まで」という俚諺があるが、この日になるともう冬の寒さはやってこないと言われてきた。
山登りや野遊びに適した季節。農事始めの行事も各地で盛んに行われる。豊作を願って、子どもたちが藁をもらい集め、丘の高みで火を焚き、枯れ草を燃やす野火が行われるのもこの時期である。とは言うものの、彼岸を過ぎて寒気が来るのも珍しいことではない。正岡子規にこんな句がある。
毎年よ彼岸の入に寒いのは
この句は一緒に住んでいた母の言葉そのまま句になったものだ。子規が彼岸に寒かったので「彼岸だと言うのに寒いね」と言うと、母が「毎年よ、彼岸の入りに寒いのは」と答えた。子規はその言葉がそのまま俳句になっているのに気づいた。今で言う、偶然俳句ということか。(先日偶然和歌という題のブログを書いた)今日の中日は、13℃で温かく、句のような寒い日ではなかった。