常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

穀雨

2017年04月20日 | 日記


今日、24節季の穀雨。百穀を生ずる雨で、微雨、細雨がふさわしい。昨日の雨は、台風のような強い風を伴った。せっかくの桜が散ったかと心配であったが、風雨にめげず咲き残っていた。畑にはよいお湿りであったようで、雨に打たれて土がやわらかくなった。いよいよ、農作業に本腰を入れなければならない季節である。

好雨 時節を知り
春に当たって乃ち発生す
風に随って潜かに夜に入り
物を潤して細やかにして声なし
(中略)
暁に紅の湿える処を見れば
花は錦官城に重からん

杜甫の詩「春夜喜雨」である。春の嵐は歓迎できないが、花を濡らす雨さえ喜びとなるのがこの季節だ。
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桜満開

2017年04月19日 | 


坂巻川畔の桜が満開になった。先週の土曜日に福島の花見山で、満開の桜を見たときはまで咲きはじめであったが、あっという間に北にあるこの地でも満開になった。ものの本によると、「咲く」という言葉は、サキから派生している。エネルギーが充満してそれ以上進めない状態がサキ。「咲く」というのは、蕾に力がたまってこれ以上じっとできない状態が破れて先に出ることであるそうだ。散るのは、風に吹かれて散るのではない。桜は満開の状態になって最後に残った花びらが咲くと散り始める。その状態になれば、風で花吹雪になるし、無風の状態でも桜は静かに散っていく。今日の天気は荒れ模様で強風が吹いている。果たして、どの木から花吹雪が始まるであろうか。

散る桜 残る桜も 散る桜 良寛

良寛に辞世の句として伝わっている。この句を単純に「人はいずれみな散っていく」という風に解釈したのでは、良寛の心は読めないのではないか。桜は散った花の先から若葉を出し、光合成で実に栄養を蓄え、さらに来る年に備えて、花芽を作り始める。そうした自然の営為に自分も入っていく。人の心に種をまいて、新しい命に生れ変るのだから、寂しがらなくてもいいよ、と残された人たちに告げているのだ。


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2017年04月18日 | 百人一首


百人一首の最後を飾るのは順徳天皇である。後鳥羽院の第三皇子で、父とともに鎌倉幕府を倒そうと承久の乱を起こしたが、失敗に終わり、乱後二人は佐渡へ配流の身となった。順徳院には「野辺のむかし物語」があり、そのなかにすみれの話が出てくる。

「昔、ある人道に行きまどひ、広野に日をくらして、草の中にて鳥の卵を拾ひぬ。これを袖に入れ、草の枕を引き結び、その野にて臥しぬ。夢に拾ひつる卵は前世の子なり、この野に埋むべしよし見て、夢さめぬ。夢のごとくやがて埋ぬ。そのあした見るに、葉ひとつある草に紫の花咲きぬ。いまのすみれ、これなり。」

前世になした子が鳥の卵になり、やがて菫に化生する、という伝承ははかなく哀れである。かつて、子を亡くした母たちが、野の菫を見るとき、この言い伝えに涙を流しながら、いつくしんだ。平家一門の子として育った順徳院は、鎌倉の源氏政権に烈しい敵意を抱いた。

百敷のふるき軒端のしのぶにも
なほあまりある昔なりけり  順徳院

軒端のしのぶはしのぶ草、別の呼びかたにわすれな草がある。
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土筆

2017年04月17日 | 日記


一気に春の陽気。気温は夏日に迫っている。田の畔や、小川の土手で土筆が競うように顔を出した。土筆にも豊凶があるのあろうか、今年はいつもの年に比べて土筆が出る場所がすこぶる多いような気がする。土筆と杉菜は同じ根から出ているので、この後に杉菜が出ると思われるむきもあるが、これは勘違いである。土筆は杉菜の花茎で、胞子をまき散らすために出る。ちょうど蕗の薹と蕗との関係と同じである。土筆を摘んで、袴をとり、佃煮して食べるとおいしい。この作業は手間がかかるので、年とともに最近はあまりやらなくなっている。

せせらぎや駆け出しさうに土筆生ふ 秋元不死男

土筆を見ていると、いつも懐かしい思いに駆られる。子どものころ、家の近くの野で遊んだのを思い出すせいであるかも知れない。スカンポ、グスベリ、グミなどどれも食べられるものばかりが、記憶に残っているが、土筆は特別である。生まれた地では、これを食する習慣もない。ただ、林立する姿がどこかユーモアがあり忘れ難い。

くれなゐの梅散るなべに故郷につくし摘みにし春し思ほゆ 正岡 子規
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花見山

2017年04月15日 | 登山


計画していた湯殿山が天候不順のため、急きょ福島の花見山に変更。全山を彩る満開の桜、コブシ、紅梅など花々に酔いしれた。先ず驚いたのは人出の多さだ。満開の花を見に出かけるマイカーのために、阿武隈川畔の親水公園に、臨時駐車場ができる。その収容台数が凡そ1000台、簡易トイレを設け、クルマの誘導係が要所の配置されている。この駐車場からシャトルバスで、花見山までの送迎がある。料金500円(往復)所要時間10分ほど。

バスプールに着いて目に飛び込んでくるのが、山全体に咲く桜、麓の平地には菜の花、真紅の木瓜の花。同じ桜でもソメイヨシノのほか、トウカイザクラ、しだれ桜にハナモモの濃いピンク、レンギョウの黄色とサンシュユと白いコブシやモクレン、「色とりどりの花を混ぜて咲くさまは圧巻である。そして花を愛でる人の多さにも驚かされる。聞けば桜の季節にここを訪れる人は23万人。見ごろは10日ほどだとすると、日に2万人以上の入場者がある勘定になる。



花の写真を得意とした秋山庄太郎が、この花見山を「福島に桃源郷あり」と言って、花の季節にはここを訪れて写真を撮影したことで知られている。福島市渡利地区は、花木生産農家の集落で色々の花が栽培され、観光客の数も次第に増えている。頂上の展望台までゆっくり写真を撮り名ながら歩いても、小一時間たらず。高みからは阿武隈川の清流が望まれ、その向こうに残雪に輝く吾妻連峰、安達太良の山々が美しく見える。

あれが阿多多羅、
あの光るのが阿武隈川。

ふと、高村光太郎の『智恵子抄』の一節が、思い出される。光太郎の妻になる長沼智恵子は、この福島の酒造家に生まれ、画家として活躍してしていたのであった。



展望台の付近から、花見山の全容と、渡利の集落が見える。ここを訪れる若いカップルと祝福するように、菜の花でハートがかたどられている。花見山の頂上から、十万劫への嶺道を歩く。山頂に十万劫の由来を書いた看板がある。それによると、聖武天皇が東大寺を建立するため、僧侶を全国各地に仏教の普及と建立資金の喜捨を求めて派遣した。そのうちの一人、僧行基が陸奥の黄金を求めて、この地に難渋の旅をした。ここに一夜宿り、朝目覚めると、ここかた阿武隈川や吾妻、安達太良、霊山、蔵王などの絶景に心を打たれ、持参した地蔵尊を松の根方に安置し、永劫の地域の鎮めを祈念したのが由来であるという。

劫(ごう)とは、刹那の反対語で長い時間を言う。十万劫とはその長い時間が、十万の集まったもので、仏教で使われる言葉。山の麓に居住する人々が、日照りに雨乞いを祈念すると、必ず慈雨が降ったとの言い伝えがある。山を下りて池の辺で昼食。そこの枝垂れ桜の美しい色を愛でながら、花見の山行を終える。本日の参加者7名(うち男性3名)。


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