常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

自然

2018年09月25日 | 日記

秋分の日が過ぎ、今年もあと三月あまりを残

すのみとなった。今年は例年にもまして自然

と触れ合う機会が多かったような気がする。

ところで自然という言葉だが、漢和辞典を引

くと、「本来のままで人工が加わらない状態」

とある。同じ森に入っても、杉や松などを植

林した森は自然とは言えないということにな

る。中国の古典である老子にこんな言葉が出

てくる。

「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法

り、道は自然に法る」

山道に行くと、道は多く沢筋についている。

水の流れは、地形のそのままの姿に従ってい

る。自然の姿を見ることは、地球の歴史を見

ることでもある。

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二ツ箭山

2018年09月23日 | 登山

いわき市の北西部、二ツ箭山(標高709.7m)

二つの岩峰を持つ地元民に愛される山だ。箭

とは弓箭のこと、つまり先の尖った矢を意味す

る。二つの岩峰を矢に見立てたことによってこ

の山の名の由来がある。その岩峰の一つ、男体

山への登攀に30mの鎖場がある。何をすき好ん

でこんな山に登るのか、そんな声が聞こえてき

そうな岩場である。

この岩場をチームがひとりづつ登り始める。

人目が上に着こうとするころ、60代の男性登山

者が同じルートを、鎖を頼りに下りてきた。チ

ームの一人が交差すると、男性は迷わずルート

の脇へ逸れ、岩の出っ張りに足をかけて、身軽

に下ってくる。「大丈夫ですか」と声をかける

と、「ここは何度もやっているから」と、私が

待機していた場所に降り立つ。男性はそこら下

へ下るかと思っていると、私の後からまた岩場

を登ってくる。どうやら岩場の登攀の練習をし

ている様子だ。「ここに馴れると、剣も槍の楽

々だよ」などと話しかけてくる。女体山の頂上

に着くと、この男性の仲間と思われる登山者が

4、5名、楽しそうに山の話を語っていた。いず

れ地元の人々と思われる。

我々が登山口の駐車場に着いたのは、8時。

沢に沿うコースをとる。昨夜の雨で、沢に

はやや多い水が流れている。石に付着した

苔が滑る感じだ。危険個所には鎖が付き、

安心して登ることができる。沢に岩、通常

の登りにはない危険個所だが、注意して登

りつめると、前項の岩場に着く。本日の参

加者は5名。内女性5名は、会でもベテラン

である。二ツ箭山は、岩峰や沢の危険個所

があるとは言え、標高は710mの低山だ。

坂道も急ではあるが、全体的には短い。1

時間半で、鎖のある岩場に着く。30mの鎖

場も10分もかからず男女のコルに、そこか

らすぐに、女体山の頂上に着く。頂上から

は東に太平洋、西に阿武隈の山々の眺望を、

ほしいままにする。

女体山頂上からの眺望を堪能してから、二ツ箭

山の山頂へ。ここは木々に被われて眺望がない。

木漏れ日のなかで、静かに昼食を楽しむ親子。

我々もここで弁当を食べることにする。秋の日

ざしのなかの楽しいひと時。とりとめのない会

話がはずむ。健康によい食べ物。Sさんは、ト

マトの味噌汁や焼きトマトを勧める。取り立て

の野菜は、どんな食べ方もおいしいが、焼いて

食べるのも一つの方法であるらしい。

ここは、詩人草野新平の生誕の地。故郷の秋を

詠んだ詩がある。

 秋の夕方

ところどころに芒があり

昼の月もでてゐる

姿はみえないが

すこし離れたところから

鈴虫の音がする


さみしく忍ぶように

一つ二つして

しなくなる

いわき市小川町。山間のどこまでも静かな町。

山道を周遊して、月山までくると、先刻難儀

して登った鎖場の岩峰を挟むように男体山と

女体の岩峰が間近に見える。ここから木の根

が張り巡らされている急坂を下る。小一時間

で駐車場へ。帰路、小町の湯で汗を流す。小

野は小町の里として、アピールしているらし

い。

 



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秋雨

2018年09月22日 | 日記

秋の長雨とはよく言ったものだ。明後日が仲

の名月であるが、こう雨が続くと雨名月とい

うことになりかねない。今日に予定した山行

も晴れを待って一日延期になった。デジカメ

で何とか、秋雨を表現できないか。色々と試

行錯誤をしてみた。思いついたのが、育てて

いるサボテンを近景にして、そぼ降る秋雨を

遠景にしてぼかすことであった。実際にブロ

グにアップしてみると、雨が降っているか、

どうかよくわからない。秋雨は、春雨のあた

たかい慈雨にあたる言葉として生まれた。木

の葉をしめやかに濡らして降る雨である。実

際には夏の気圧と北の冷たい気圧がぶつかっ

て荒れた雨が多い。風もなくしとしとと降る

雨などはめったにないが、今日の雨はこの言

葉にふさわしい雨だ。昼過ぎには、高気圧が

張り出して束の間の好天をもたらしてくれる

筈だ。

三日降れば世を隔つなり秋の雨 水原秋桜子

 

 

 

 

 

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コスモス

2018年09月21日 | 

コスモスの茎はやわらかい。秋風に吹かれる

と縦横に揺れ動いてしなやかだ。ふと、人の

心のゆらぎのようでもある。真っ先に思い浮

かぶのは、与謝野晶子の短歌である。

心中をせんと泣けるや雨の日の

白きこすもす赤きこすもす 与謝野晶子

晶子が、どこまで真剣に心中を考えたかは、

知らぬが、その心中は風に吹かれて大きく揺

らいでいたに違いない。

コスモスは外来種だが、日本語で秋桜と書き、

随分長く親しまれている。花壇に植えられて

いたものが、街の空き地、路傍や垣根の脇に

自生しているのをよく見かける。

名はギリシャ語で秩序を意味する。ここから

星が整然と座す宇宙を意味する。この花の舌

状花が整然と並ぶので、この名がつけられた

のであろうか。

秋風が吹くと、樹は倒れやすい。あわてて支

柱を立てて、直そうとする気になるが、もの

の本によるとそうした手入れは必要ないと、

書かれている。花は倒れても、茎はたちまち

天に向かって伸びていくという。この花を見

るたびに思い出すのは、子供たちが小学校の

校庭で運動会にうちこんでいた遠い昔である。

校庭の隅には、ぽつんぽつんと、コスモスが

秋風に吹かれていた。

 

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彼岸花

2018年09月20日 | 日記

秋の花はなぜか突然に咲く。昨日、懐かしい

香が漂ったと思ったら、生け垣の金木犀が葉

陰にひっそりと咲いていた。花はまだ小さく

写真映えしないが、強い香りがその存在をア

ピールしていた。足元に目を落とすと、真紅

の彼岸花が、秋の日差しを受けていた。別名、

曼殊沙華。釈迦が経文を説いたおり、その瑞

兆として天から降った花とされている。それ

ほどに、秋の花は突然に咲くということだろ

うか。

北原白秋に曼殊沙華の詩がある。「わが門の

竹の林に、曼殊沙華赤く咲きたり。竹の根の

つ一つに、この華や六つ七つづつ、日に増

して数かさみゆく」。白秋の詩は、いつも昔

の日を思い出させる。しかし、生まれ故郷の

北海道では、この花の記憶はない。ラジオか

ら流れてくる美空ひばりの哀愁に満ちた「恋

の曼殊沙華」のメロディーが、深く心に刻み

こまれている。

美空ひばり-恋の曼珠沙華

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