常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

一日の王

2018年09月19日 | 日記

お寺の前で

子供が三人遊んでいる

お前たちは一日の王をみかけたか

(シェーヌヴィエール)

朝、目を覚ますと東の空を、日の出前の太

陽が茜色に染めた。今日は、疑いなく秋晴

れである。一日の王とは、豊かな自然に抱

かれ、たっぷりとした陽ざしのなかで過ご

す人のことだ。朝の散策、畑の手入れ、頂

上をめざして山道を登る。秋の日の一日の

王は大勢いる。一番似合うのは、枯れ葉が

散り、茸の匂う秋の山道。一日の王はその

道のすがすがしい美しさと、その明るい広

がりを思う。

畑には生い茂った草むらに、やわらかいハ

コベの新芽が伸び始めた。コリアンダーも

種をこぼし、一面の新芽がではじめ、あの

さわやかな香りを畑中にまき散らす。朝露

にしっとりと濡れた土は、植物の成長を促

す絨毯だ。

 

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良寛の詩

2018年09月18日 | 詩吟

詩吟の吟題を選ぶとき、その詩の内容が気にな

る。年を重ねると、良寛の詩が何故か心に響く。

無心という心境が、この僧の本質であったよう

に思う。

花は無心にして蝶を招く

蝶は無心にして花を尋ぬ

花開く時蝶来たり

蝶来たる時花開く

蝶と花の関係は、蝶が生きるために、花の蜜

を求め、花は蝶に受精のために蝶に花粉をつ

けて飛び回って欲しい。しかし、そこに賢し

らな計算があるわけではない。人間も心を無

にするとき、何ごとかを成就する。

死を受け入れるときも、良寛の心はあくまで

も無である。

うちつけに飯を断つとにはあらねども

且つやすらひて時をし待たむ  良寛

貞信尼が食も薬も断っていると聞いて、かい

がなく無駄と思って、自らの命の消えるのを

待とうとしているのですか、という問いの便

りへの返事の歌だ。死に瀕したときの良寛の

心のあり様が示されている。昨日、亡くなっ

た樹木希林さんの心境もあるいはこうであっ

か。この暮の吟詠の課題吟に、私は良寛の

「時に憩う」を選んだ。

薪を担いて翠岑を下る

翠岑路は平かならず

時に憩う長松の下

静かに聞く春禽の声

翠岑は緑の山路。大きな荷を背負っているの

松の下で一休みする。そこで聞こえてくるの

は春の小鳥たちのさえずりである。

たきぎこりこの山かげに斧とりて

いく度か聞くうぐいすの声  良寛

山は良寛に、たつきとしての薪を与えてくれ

る。ワラビや山菜、その日、口に入れるわず

かばかりの春の味覚を手にしたのかも知れな

い。良寛の何げない日々の暮らしが、心に響

いてくる。

午後の散歩で見つけたシャッターチャンス。良

寛の詩の世界がそこにある。無心に咲く曼殊沙

華にアゲハチョウが無心に蜜を吸う。朝方アッ

プしたばかりの景色がカメラに収められる偶然

が訪れたことが何よりも驚きだ。

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敬老の日

2018年09月17日 | 日記

敬老の日を中心に、敬老にまつわる行事が

多い。14日は、義母の入所している施設で

100歳のお祝いが渡された。山形市長から

祝い金10万円、総理大臣からは寿の銘が入

った銀杯。施設の人からお祝いの品が渡さ

れると、理解しているのか「ありがとうご

ざいます」という言葉が、義母の口から自

然と出た。

今日は地区の敬老会。私は2度目の出席であ

る。同居しているアパートから、8名の参加。

全体でも公民館の講堂がいっぱいになるほど

の盛況である。この地区でも、75歳を超える

高齢者が増えている。

しばらくぶりに近所の散歩コースを歩く。目

につくのは秋の花。萩が枝一面に万朶の花を

つけている。

萩咲きて愚かに昼を眠りゐる 細見 綾子

曼殊沙華の赤がまぶしい。花がぶつかりあう

ようにして咲いている。敬老の日が過ぎると

間もなく秋分の日。あれほど暑かった夏はも

う過去の記憶のなか。台風や地震、大雨によ

る土砂崩れ。秋の恐ろしさを見せつけるよう

にして、季節は移ろって行く。

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雨の栂峰

2018年09月16日 | 登山

栂峰は山形百名山のひとつに数えられ

ている。だが、どの登山地図を見ても

登山道の記載はない。国道113号線の

手の子から、県道4号線に入り、白川

ダムを過ぎ、小屋林道の終点に登山口

がある。小屋の集落は、かつてこの山

の木を伐りだし、木地から椀など作っ

で生計を立てていた。この山を登ると、

集落の人々が、いかに山の木々を信仰

の対象としていたかが分かる。

登山口には、天照大神をを祀る黒滝神

社、頂上には栂峰大神を祀る石碑が2

基建てられている。そして要所に蔵王

神社、御室神社などの祠、オオシラビ

ソの木には、市祥島姫神、伊弉諾晨神

など神の名を記した立て札が多く置か

れている。春から生え茂った笹や木々

を刈り払い、ここを登山できるのも、

秋白露の日に行われる例大祭のために

礼拝する道が作られるためである。町

役場に聞くと、この例大祭も、集落の

人々の高齢化で、そろそろ中止なると

の話であった。あるいは、この登山が

我々のグループでは最後の計画になる

かも知れない。

9月15日、予報では午前小雨、午後か

ら曇りと出ていたが、参加希望が多く

あったため、計画通り実行。

7時14分。登山口着、準備をして登り

始める。登山口では小雨、雨具を着た。

杉林の急登あたりから、雨が強くなる。

雨とはいえ、刈り払いした登山道は歩

やすい。時に小雨、やや強めの雨が降

り続く。最初から雨に降られるのは珍

しい。今日の参加者は10名、内男性3

名である。途中、行きかう人とていな

い。あくまでも静かな山中である。沢

の音も途絶え、風もなく、雨がしとし

と降り続く。

歩きながら、この集落では、例大祭は

どんな風に行われたか、想像をめぐら

せる。あの御柱のように、「奥山の大

木里に下りて神となる。」人々は、雨

をものともせず、酒を汲み、歌い、踊

りながら、家内安全を祈ったか。

つい先週であろう、例大祭のために藪

は取り払われ、我々の足元は安全であ

る。

2時間ほど休憩を入れながら登りつめ

と、雨は次第弱くなり、降り止むこと

も多くなった。蔵王神社のあたりまで

来ると、頂上を気にする人が多くなる。

あと、30分と、地図の記載から予想を

立てる。突然、道をふさぐシラビソの

大木。刈り払いのあと、台風の通過で

吹いた強風に根こそぎにされている。

最後の急坂を登りつめても、目指す頂

上はまだ来ない。ここで、ヤマップの

GPSを見る。あと1㌔。どの山道も疲

れた足には遠い。11時24分、頂上着。

途中リタイアした2名を除いて8名が頂

上を踏んだ。雨が上がる。近くに見え

る木々の緑が輝いている。帰路は、往

路をたどって下りる。その勾配の大き

さに驚く。3時、車を置いた地点に戻

る。

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霞城散策

2018年09月13日 | 日記

霞城の土手を何年振りかで散策した。草木には

夏の勢いが残り、まだ秋の気配はない。お濠で

は、カルガモの番いが澪を立ててのんびりと泳

いでいた。

この城は最上義光が文禄年間に修築したものだ

が、本丸は失われている。その復元工事が始ま

ったが、現在門構えだけができ、工事は行われ

ていない。工事の現場には夏草が茂り、虫の音

が聞こえてくる。わずかに秋の気配は、虫の音

で告げられる。残っている濠は、二の丸にめぐ

らされたものである。

 

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