常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

祝瓶山

2019年08月25日 | 登山

祝瓶山(1417m)への挑戦は、昨日の夕焼けに予祝されたようであったが、朝方の霧、高度を上げていくと、時折り走りぬけて行く山雨、そして青空が覗いて照付ける太陽。わずか数時間にうちに気象はめぐるましく変化した。祝瓶とは響きのよいネーミングである。しかしそのルーツは、小国の集落岩井沢の上の山である岩井上(イワイカミ)から転じたものであるらしい。地名辞典にあたってみると、大朝日岳から南にのびる尾根にある花崗岩の峻峰で、東面は雪崩で磨かれた険峻な岩場と解説されている。

佐竹伸一先生の『朝日連峰の四季』という写真と文をの本がある。その一項に「秀麗祝瓶山」の名文を引かせてもらう。

「朝日連峰は、数多くの山々の連なり。それぞれの山が他を圧することなく、お互いを引き立て合いながら南北に続いている。その連なりが大きな魅力となっている朝日連峰にあって、その南端近く、ひときわ強烈な個性を放っている山が、東北のマッターホルンとよばれる祝瓶山である。祝瓶山は1417ⅿであるから、標高において他に勝るということはない。しかし、天に鋭い矛先をかかげたその姿は、気高く孤高である。

写真は一の塔近辺で撮ったものだが、山道がいかに狭く、切れ落ちる路肩についているかがわかる。ここから小さなピーク三つ越えた先に、天を突くような祝瓶山の鋭鋒があるのだが、写真では霧で隠されている。

小国の町から荒川沿いに、徳網、針生平を抜ける林道の終点に登山道の入り口がある。清流にかかる吊り橋は、この山の痩せ尾根を象徴するような狭い、片足を乗せるがやっという鉄板をつなげたものだ。自宅を4時30分に出て、駐車場に着いたのは6時45分、ここで身支度を整え、出発しようとする頃、一台の軽トラが入ってきた。息子なのか青年を乗せた元気のいいお母さんだ。問わず語りにトンビマイタケを採ってきたといい、荷台を開けてキノコを見せてくれる。荷台にいっぱいになるほどの大量のトビタケだ。「欲しいか、いるなら上げるよ」とどんどんキノコを車の周辺に置く。さらに調理方法を述べ、ぜひ食べろ、という。若干のお礼で、皆で分けられ程のトビタケをいただいた。

本日の参加者7名(うち男性2名)。7時過ぎに登山を開始。小さな川を二つ渡渉、やがて尾根へ向かう分岐に出る。すでに急登が始まっている。歩き始めのペースを落とし、一歩一歩登っていく。木の根を張り巡らしたような山道が続く。駐車場3台ほどの車があったが、山中で人に出会うこともなく、静かな山行である。30分に一度ほど、水分補給の休憩をとる。尾根道は鈴振尾根と名付けれている。ここも古くは、行者が修行する霊山であったとの記述もある。標高850付近から、なだらかな下りの道になる。

やがて鞍部に着くと、そこから一の塔まで、長い登り道である。時々、GPSで現在地を確認したくなる長い登りだ。一の塔はまだ?とSさんが聞く。GPSで1068mの地点が動かないように感じる。しかし、登りでは、脚の筋肉へのダメージはさほどではない。木々の間から、雨雲が接近してくるのが分かる。一瞬、強い風が吹きぬけていく。ザっと来たころに、ザックから雨具を取り出して着る。やがて一の塔へ着く。ここからは最初の写真のように、山頂への登山道が見えている。

頂上は近い。急な坂を登り切ったところに、大輪のミヤマリンドウが咲いていた。汗をかいた身体を吹き抜けていく、冷たい風。花の濃い色が、疲れを癒してくれる。山頂までピークはあと二つ。疲れをいたわるような仲間の声が聞こえてくる。霧が晴れて、祝瓶山の頂上が姿を見せた。カメラを出して撮影をすべきなのだが、もうその気力も萎えている。一歩一歩確実に頂上をめざすだけだ。三角錐のこの山は、どのコースをとっても最後の急登は息が切れる。やがて、道の片側に苔と長い草本が伸びている。そこを過ぎると、頂上を示す小さな看板と三角点の石標。

頂上から来た登山道をふり返れば、よくぞ細い尾根道をやってきたと思う。遠くは霞んでいて眺望はいまいちであったが、山頂での達成感は、他の山では味わえないものがある。長井盆地の方角には木地山ダムも遠望でき、この山の位置関係もはっきりと確認できる。復路はピストンで戻ることになるが、往路の4時間半に加えて3時間がプラスされる。急な下りが筋肉を登り以上に消耗することを実感する。

それにしても、参加した7名は元気そのもの。ここでも、この山を登り切ったという達成感が顔に出ている。転倒、滑落などの事故は、疲労のたまって帰路で起きることが圧倒的に多い。全員に、より慎重であることを伝えてしっかりと下りた。午後には晴れ間も出て、吹く風も涼しい感じがする。往路は、雨に濡れていた笹や灌木類も、午後の風ですっかり乾いている。

帰路、りふれの日帰り温泉で汗を流す。温泉は、疲れた足のケアに想像以上の効果をもたらす。一時ではあったが、疲労からくる筋肉痛も嘘のように軽快になった。夜、7時過ぎに家につく。4時半からの長い一日の楽しみが終わった。

 

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夕焼け

2019年08月23日 | 日記

午後7時近くになって、西の空はきれいな夕焼けになった。天気予報は、明日の朝からの晴れとなった。小国は明け方まで雨が残るらしいが、明日の山行を予祝する夕焼けだ。朝日連峰の東端、東北のマッターホルンといわれる祝瓶山。しっかりと登って、今年の登山にいい思い出となる日にしたい。

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地蔵

2019年08月23日 | 日記

お地蔵さん、もうすっかり日本の文化に定着している。『今昔物語』には、地蔵菩薩を念じて命を救われた話がたくさん出てくる。そのひとつを、拾うと。「伊勢の国に住む下人があった。月ごとの24日になると、精進受戒して地蔵菩薩を念じていた。この国に水銀が出るので、郡司が下人を含む同郷の3人へ水銀掘りを命じた。3人は水銀のあるところに出向き、穴を掘って、丈余もある穴に入った。ところが、穴の口の土が崩れ、出口が塞がってしまった。

3人は出口の穴の中に閉じ込められ途方にくれ、泣き出すものもあった。地蔵に帰依していた下人が、地蔵のことを思い出し、念じて、地蔵菩薩に我を助けたまえ、と祈った。するとたちまち暗い穴に光りがさしこみ、端正な姿をした小僧が、紙燭を持って現れた。下人に告げて、「私の後についてきなさい」と言った。恐れ喜んで、小僧の後を追って行くと、元の里に出た。同郷の二人には、この明かりが見えなかったため、穴に残されたままになった。

この話が広がると、伊勢の国では、多くの地蔵菩薩を造り、特に水銀を掘るときには、地蔵を念ずることをすすめた」。地蔵は釈迦が入滅したのち、弥勒菩薩が現れるまでの間の長い時間、六道を巡って衆生の苦を救う役割の菩薩である。唐の詩人李白に、地蔵をたたえる詩がある。

普く慈力を仮りるに頼りて

能く無辺の苦を救う

独りはるかなる劫より出でて

横流を導き開く

「劫」は弥勒菩薩出現までの長い時間。「横流」は苦海のこと。日本で地蔵菩薩信仰が盛んだったよりも前に、中国でも同じ信仰が行われていた。

 

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ウメモドキ

2019年08月22日 | 日記

千歳山で足ならし。登山口の草むらからコオロギの鳴き声が聞こえてきた。蝉はもう声を潜めている。明日あたりから、天気図が秋形に入れ替わると、ニュースが流れた。南からの温かい空気に変わって、大陸からの冷たい乾いた高気圧が張り出してくる。そのために、前線を下方へ押し下げる。こうして、この週末は涼しい秋の気候になるらしい。山にはウメモドキの赤い実がついていた。

梅もどき星影も身にしみはじむ 百合山羽公

千歳山の道は歩きやすい。今朝は、時間帯が早いせいか、多くの顔見知りの人に行き会った。山を歩く人は、いつまでも元気がいい。自分も筋トレ効果で脚が軽い。石の上も、安定して歩くことができる。登り30分、下り25分。

 

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晩夏

2019年08月21日 | 斉藤茂吉

ふるさとの蔵の白かべに鳴きそめし蝉も身に沁む晩夏のひかり 茂吉

ふるさとの蔵とは、生家の東に立っている蔵屋敷ことである。今も塗装したのか、目にしみるような白壁がある。俳句の歳時記を引くと、晩夏は夏過ぎる、夏終わるを縮めて晩夏にした、書いてある。秋風を感じる一歩手前の微妙な季感、とも書いてある。一匹の蝉がその壁にとまって鳴いている景色に、晩夏の光りに重ねたのは茂吉ならではの感性である。

小泉八雲もその季節を好んだらしい。『日本の庭』という小品のなかで、この季節について書いている。

「蝉だけが庭の音楽家ではない。中に目立つのが二種類あって、蝉のオーケストラに伴奏をする。その一つは鮮やかな緑色をした美しいきりぎりすで、日本人には「仏の馬」という珍しい名前で知られている。なるほど、この虫の頭の辺りが馬の頭部にいくらか似ていてーそれ故こんな幻想が生まれたのであろう。奇妙に人なつっこい虫で、手で捕まえてももがきもせず、大体がよく家の中へ入って来て、いかにもくつろいだ様子である。もう一つの虫も緑色のきりぎりすで、こちらは少し大きく、ずっと人になれない。歌い方の故に「ぎす」と呼ばれる。」

あと一週間もせずに、季節は処暑を迎える。昨日、気温は最高25℃で、一ヶ月以上続いた真夏日が、一たん途切れた。今日は30℃を超えるようだが、30℃を切る日が次第に増えていく。誰かも言っていたような気がするが、齢をとると、夏が去っていくことに、ふと哀感がかすめる。ひどい暑さであったが、もうこの夏はあと一年を待たないとやっては来ないのだ。

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