常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

夕焼け

2021年01月25日 | 日記
陽が沈むのが、日一日と遅くなっている。夕焼け空のなかを歩くと、大寒のなかだというのを忘れる。塒にに帰るカラスの群れも、ゆったりと飛んでいる。中天に目をやると、大分丸みを帯びてきた月がきれいに見えた。春の足音が近づいている。

枕草子を書いた清少納言のもとへ、藤原公任から文が届いた。「少し春あるここちこそすれ」という下の句が書きつけてあり、この句を引き立てる「上の句を詠んで、すぐに送り返せ」とのことである。思いがけない文である。いくら才があるとはいえ、急なことに戸惑ってしまった。しかし、厳しい冬のなかで過ごしている人々の暮らしを思うと、少納言に次のような句が浮かんだ。

「空さむみ花にまがえてちる雪に」。雪を散る桜の花びらのように見ることによって、待ち遠しい春の情景としたのである。

昭和16年の1月25日。私の生まれた年だから80年前のことである。永井荷風は東京の様子を『断腸亭日乗』にこんな風に書いている。
「暮れ方より空くもりて風俄かにさむし。やがて雪ならんか。人の噂にこの頃いづこの家にても米屋にても米少なく、一度に五升より多くは売らぬゆえ人数多き家にては毎日のように米屋に米買ひに行く由なり。」
時代がどう変わっても、人間が生きていく営みに違いがあるわけではない。
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どんがら汁

2021年01月24日 | グルメ
んがら汁は方言で、魚のあら汁のことだ。寒鱈の季節は、鱈のアラをつかったどんがら汁が庄内のソールフードになっている。寒ダラ祭り、と称して商店街の一郭で大鍋で煮たどんがらを来客にふるまう催しも行われていた。内陸にいる人たちも、雪道の月山道を通って、会場まで遠征す人も多かった。今年はコロナ禍、スーパーへ行くと「お家で寒鱈まつり」の幟を立て、パックに内臓やアラ、切り身をパックにした寒鱈が1,080円で売っていた。毎年、大寒になると寒ダラを賞味するのが我が家でも恒例である。早速、買って我が家での「寒タラまつり」を楽しんだ。

調理法が小さな紙に印字してある。①鍋に湯を沸かし、ひと口大に切った肝を入れる②肝が煮えたところで切り身・アラを加える③アクが浮いてきたら掬いとる。魚に火が通ったら白子を加える④味噌をとかし、豆腐、ネギを入れる⑤
好みで酒粕、岩のり加える

煮あがったどんがら汁は、期待通りに美味。雪道遠征せずに、日本海の磯の味が堪能できた。改めて確認できたのは、これを食した後の身体のあたたまりである。満腹になったのは言わずもがなだだが、寝るために蒲団に入っても身体が火照るように暖かく、眠りに落ちるまでやや時間がかかった。身体が冷える寒の季節、血管に病気で入院のニュースが流れている。この時期に、鱈一尾をどこも捨てずに食べ、身体を暖める食文化はこれからも守っていきたい。

薄月の鱈の真白椀の中 松根東洋城
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日記の力

2021年01月23日 | 読書
ワンノートに日記風のメモを作るようになってひと月になる。日々の食事やウォーキングの記録、注目すべき出来事などで構成している。昨日のノートには、バイデン大統領の就任演説のノーカット版をYouTubeからそのまま保存した。政治家の演説というのが、この国の首相と比べていかに違っているか、これを見れば瞭然である。昔、娘が描いた漫画がアニメ化されたものが、YouTubeで今も見られる。これを一話ずつノートに保存して見るのも、年老いた親の楽しみでもある。

今手元に作詞家の阿久悠の『日記力』という冊子があるが、昭和のヒット曲を次々と生み出した作詞家の秘密の武器が日記であったことが知れる。以前に買っていた文春新書、鴨下信一の『面白すぎる日記たち』もこのほど読み返してみた。日々の生活の記録には、生きることの意味がつまっている。思い返してみれば自分の読書体験のなかで、日記の占める部分が多いことに改めて気づいた。

家の本棚を漁って見ると注目すべき2冊の新書が出てきた。臼田昭『ピープス氏の秘められた日記』と神坂次郎『元禄御畳奉行の日記』である。方や17世紀イギリス紳士の生活記録であり、片や17世紀末元禄時代の尾張藩士の日記をひも解いたものだが、全く異なる文化圏のなこで、人間の生きざまを見ると、その本質がほぼ同じであることが見てとれる。

「今週のはじめ、この一週間は酒を飲まないと自分自身に誓いを立てた(仕事に気を配ることができなくなるからだが)が、今朝意に反してそれを破ったので、たいそう心が悩む―だが神様もお許し下さるだろう」(ピープス)
「予、昨夜、酒過ぎ、且つ食傷の気味なり、心神例ならず、今朝二度吐逆す。従来謹むべし」(元禄13年 朝日文左衛門)

城山三郎の『情報日記』に某月某日にこんな記載がある。
「暖冬続きだったが、今朝はじめてかなりの冷えこみ。「懐かしい寒さですわね」と妻がいう。暖かさが続くのはうれしいが、異変の前ぶれのようにも思えて、不安になる。それよりは、冬らしい寒さがきてくれて安心というニュアンス。先行きの不安は一つでも少ない方がいい。」
昭和51年頃の記述なので、もう50年も前から暖冬などに、不安を抱きながらいたことが知れる。今、異変は、世界中に感染を拡大しているパンデミックが1年を過ぎてなお拡大中という形をとって起きている。寒の雨にあたりながら、異変にも諦観が少しづつ浸透し始めている
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一椀のみそ汁

2021年01月22日 | 日記
朝の時間を充実させてくれるもの、それは山の端から登る太陽の光と、食卓の一椀のみそ汁だ。朝起きて、先ず四方の窓を開ける。寒い朝でも、朝の空気が部屋に入ってくると気持ちがいい。見なれた山々の姿を見ると、今日も一日元気で過ごせそうな気がする。部屋中に掃除機をかける。一膳のご飯、野菜を少々、明太子とみそ汁で一日が始まる。

貧しいなながらも、子どもの頃に飲んだみそ汁の味が忘れられない。戦後の食糧難の時代であったが、味噌だけは自家製であった。畑で収穫した大豆を茹でて豆つぶしの機械でつぶして、樽の中で塩と混ぜ合わせて保存する。一年ほど経つと食べられるが、二年位置いたものの方が味がよかった。煮干しの出汁だが、どんな具にもマッチして、ご飯をおいしくしてくれた。

俳人の楠本憲吉に『みそ汁礼賛』という本がある。楠本も母の作ったおふくろの味が忘れられないらしい。日本の味のシンボルとしてみそ汁をあげている。四季の旬の食材を具にして、四季のそれぞれの味を楽しんでいる。味噌をすり鉢ですったり、カツオ節を削ったり昆布だしをとったり、おいしいみそ汁をつくる方法が紹介されている。

わが家では手間のかかることはもう一切しない。味噌も出汁も、お隣のスーパーに美味しいものが手軽に買える。具にはそれこそ旬の野菜、豆腐やワカメなど選択するのが大変なほど豊富だ。我が家のプチ贅沢は、一粒の牡蠣と数粒の銀杏が入っていることだ。冷凍になっているのを買うので一年を通して欠かすことはない。銀杏は親戚の家にある大きなイチョウの木なったものだ。これも鬼皮を剥いて、生のままで冷凍してある。たまには、山で見つけたナメコが入れば最高の贅沢になる。
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戸神山

2021年01月21日 | 登山
新年2度目の山行は、仙台の西北、秋保と関山街道近くの戸神山(504m)だ。不思議な偶然というのか、2度とも寒波が去った晴天。放射冷却凍てついた雪の上を被うさらさらとした新雪が朝日に光っている。戸神山という山は、各地にある。山形市にも二つ、群馬県の沼田、そして仙台近郊。この山に共通しているのは、街から近く、その山容が三角錐で切り立っていることだ。名の由来をたずねると、尖っていること、神が宿ることを名に込めているらしい。何か語呂合わせのような気がしないでもない。

この山で撮った写真で一枚でこの山の特徴を表すとしたら、頂上から海へ広がる眺望か、杉の美林か、空へ突き出る山頂か。選ぶのに迷ってしまう。選んだのは近隣の山並みから海へ広がる広々とした眺望です。山形に住むものには、やはりこのどこまでも広がっていく景観は得難いものだ。
9時過ぎに笹谷トンネルを通過したが、この辺り風が強く、道路に吹雪が舞っている。ホワイトアウトで多重事故事故を起こした昨日の東北道が頭に浮かぶ。釜房湖を越えて、川崎の辺りまで来ると、急に積雪が少ない。登山口のゲートは観光道路にする予定が中止された跡であると、登山ガイドにある。山中に入ると、さすがに雪はあるものの、積雪の状態は山形に比べてぐんと少ない。10時18分に登山開始。車が入れる広い林道のような道を進む。先行のトレースもあり、新雪のしたは凍った融けかかった雪だ。目の前に、三角錐の雑木が繁る雄戸神山が見えている。その裾野を周回するようにしながら女戸神山のコースをとる。傾斜が少しづつきつくなるに従って、新雪の下の氷が滑りやすくなってくる。11時47分、女戸神山の頂上でアイゼンをつける。そこから一気に鞍部まで、アイゼンの効果で快調な歩き。鞍部からは、急な斜面を頂上へ。熊落ち坂の看板がある。熊も落ちるほど急な坂という意味か。
この斜面の所要時間、わずか10分。頂上からは360度の眺望。やはり、海へと広がる近くの山並みが印象的だ。鞍部で吹いていた冷たい風は、頂上にはない。三々五々、思い思いの場所で持参した弁当を開く。本日の参加者10名、別のパーティー3名。仙台近郊の人たちは3人ほど。この日に限って、山形からの遠征組が、頂上を占有した。

1時7分、下山開始。山中の冬景色を堪能する。雑木林から、植林した杉林へ。思わずその見事な美林にカメラを向ける。寒さにも負けず、杉の雄姿が目に焼き付く。
下山、2時3分。年明けて20日。その間の寒波や時ならぬ雨などを経て、めぐり会えた里山の懐かしさ。手入れされた木々を見るだけでも、近辺の人々がこの山に愛着を持っていることが知れる。
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