
陽が沈むのが、日一日と遅くなっている。夕焼け空のなかを歩くと、大寒のなかだというのを忘れる。塒にに帰るカラスの群れも、ゆったりと飛んでいる。中天に目をやると、大分丸みを帯びてきた月がきれいに見えた。春の足音が近づいている。
枕草子を書いた清少納言のもとへ、藤原公任から文が届いた。「少し春あるここちこそすれ」という下の句が書きつけてあり、この句を引き立てる「上の句を詠んで、すぐに送り返せ」とのことである。思いがけない文である。いくら才があるとはいえ、急なことに戸惑ってしまった。しかし、厳しい冬のなかで過ごしている人々の暮らしを思うと、少納言に次のような句が浮かんだ。
「空さむみ花にまがえてちる雪に」。雪を散る桜の花びらのように見ることによって、待ち遠しい春の情景としたのである。
昭和16年の1月25日。私の生まれた年だから80年前のことである。永井荷風は東京の様子を『断腸亭日乗』にこんな風に書いている。
「暮れ方より空くもりて風俄かにさむし。やがて雪ならんか。人の噂にこの頃いづこの家にても米屋にても米少なく、一度に五升より多くは売らぬゆえ人数多き家にては毎日のように米屋に米買ひに行く由なり。」
時代がどう変わっても、人間が生きていく営みに違いがあるわけではない。