常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

里山の春

2022年03月12日 | 日記
里山に春がきている。もう少しで、雪の消えたあたありにフキノトウが顔を出す。木々の芽も膨らんできている。気温があがると、びっくりするような勢いで雪が消えていく。小鳥の声も心なし、テンションが上がって聞こえる。春が忍び寄って来る日々で、思い出すのは青春の頃だ。

盃に春の涙を注ぎける
 むかしに似たる旅のまどゐに 式子内親王

親王は賀茂神社の斎院を勤めた。神事では、お参りに来る人の盃に酒を注いだであろう。春の涙、とはなんとも哀れな言葉ではある。斎院を辞してから、親王が辿った有為転変は語りつくすことはできない。思わず、胸が塞がれ、涙となって盃に落ちる。春は、花をもとめて旅に出る季節である。
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ゲルニカ

2022年03月11日 | 日記
歴史で初めて無差別爆撃の蛮行が行われたのは、ナチスドイツがスペイン内戦の際に派遣されたコンコルド軍団によるビスカヤ県ゲルニア爆撃である。今から75年前、第一次世界大戦が終了してから17年の月日が経過していた。時代はヒットラーのナチスドイツ、イタリア、ムッソリーニのファシズム、日本の軍部独裁などの全体主義が台頭していた。

スペインは第一次世界大戦で中立を貫き、王政のもとプリモ・デ・リベーラ将軍の独裁政治が安定を保っていたが、リベーラが追われ国王の退位で共和国となると、国内には不安定となる。1936年の選挙で左派連合の人民戦線が勝利するとそれを非とする保守派を背景にフランコ将軍がクーデターを企て、国内は内戦時代を迎えた。イタリアのムッソリーニはフランコに援軍を送り、ヒットラーはコンコルド空軍を派遣し、自国の軍隊の訓練と実験を行い、英仏に揺さぶりをかけてきた。こんな理由で無差別爆撃が行われるでは、無辜の市民にとってはたまったものではない。1937年4月26日は日曜日、晴れであった。ゲルニカの市街では、近隣の農民が集まって市を開く日であった。大勢の人が、この日を待って集まってくる。

午後4時30分、先導する爆撃隊が街に50㌔爆弾を投下して爆撃が開始されるとイタリアの援軍を含む12機が、編隊を組んで2時間、20分おきに爆撃をくり返した。爆撃機は建物を破壊し、戦闘機は機銃掃射で住民を狙撃し、爆撃による焼夷弾で火災を発生させるという悲惨きわまる掃討作戦であった。この年、パリでは万国博覧会が開かれることになっており、画家のピカソは博覧会のスペイン館を飾る壁画を依頼されていた。ゲルニカの惨状を聞いたピカソは、この爆撃をテーマにした壁画を描いた。この絵は戦場となった市街を描いものではない。描かれているのは小さなランプの灯りの室内で恐怖に慄く女性や動物たちの叫びである。この絵は反戦や平和のシンボルとして、スペインのピカソ武術館に展示されている。

この蛮行から75年、ロシアのウクライナへの無差別爆撃が、世界注視のなかで行われている。破壊された映像が世界を駆け巡っているなかで、ロシアはそうした爆撃を行っていないと言明している。ならば、ウクライナでは爆撃がないことを証明して欲しい。血を流し、涙を流す母や子が、爆撃を受けていないという確たる証拠を示して欲しい。またそうした行為があるとすれば、ただちに止めてもらいたい。
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花ことば

2022年03月10日 | 日記
室内ではアマリリスが咲き、親水公園のマンサクは満開である。雪の多い今年の春も雪の消えた路地にフキノトウが顔を出した。春が待ち遠しいのは、また春の花に会えるためでもある。近頃は、ネット便で花を贈ることもできるようようになった。古来、花を贈る習慣は、長く続いている。西洋では、花ことばを一般化することで、花の送り主の気持ちを代弁した。アマリリスの花ことばは「誇り」、スミレは「私のことを考えてください」。ジャスミンは「優美」ヒナギクは「世間しらず」などなど。せっかく花を贈ることが身近になったのだから、花ことばを知って、送り主の心を表すのも面白い。

 山なみとほに 三好達治

山なみとほに春はきて
こぶしの花は天上に
雲はかなたにかへれども
かへるべしらに越ゆる路
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冴え返る

2022年03月08日 | 日記
春の訪れは一進一退。暖かいと思った次の日は、雪になって木に花をつけたような景色になる。だが、陽の光は確実に春のものになっている。さすがに小鳥は雪を避けているが、雪が落ちてしまうころ、囀りながら枝に群がってくる。

春めきてものの果てなる空の色 飯田蛇笏
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アマリリス

2022年03月07日 | 
啓蟄を過ぎてなお春の雪。室内ではアマリリスが花を咲かせた。朝の光を浴びて散歩するのは気持ちがいい。テレビが映し出す映像は、果てしなく続くロシア軍の爆撃である。収まりそうもないコロナの感染は、ブラウン管から姿を消し、逃げ惑うウクライナの子や母親の姿が映し出される。この電波に乗ってくる情報の束は、時ととして時間や距離の感覚を失わせる。問題の解決に無力である日本の老人たちが、こんな母子の姿に同情をし我が事のように嘆いている。

世上乱逆追討耳に満つと雖も、之は注せず。紅旗征戎吾が事に非ず。

藤原定家は日記『明月記』にこのように記した。この文を記したのは、弱冠19歳の時である。戦火に揺れる世の中にあって、職業歌人としての己を磨いていく覚悟のほどを示した文である。室内のアマリリスもまたじっとうつむきながら己が花を精一杯に咲かせている。

3.11東日本大震災のとき、津波で家や家族を失う大被害のなかで、人々が口ずさんだ歌があった。震災の悲惨さのなかで、何もなかったように咲く花の歌だ。

真っ白な 雪道に 春風香る
わたしは なつかしい
あの街を 思い出す

叶いたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい
あの人を 思い出す

誰かの歌が聞こえる
誰か励ましてる
誰かの笑顔が見える
悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう (詞・岩井俊二)
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