常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

春に会いたい

2022年03月18日 | 日記

春になって会いたいものが三つある。雪の消えた広場や田の畔を通りかかると、無意識に探してしまう。フキノトウだ。雪をかき分けるようにして蕾を探すことさえある。淡い黄緑を見ると、眠っていた小さな命が目を覚ましているように思えてうれしくなる。

まぼろしに現まじはり蕗の薹
 萌ゆべくなりぬ狭き庭のうへ 斎藤茂吉

茂吉もフキノトウが庭の隅に出ることを待ちわびていたのであろう。葉の部分を採り、味噌汁に2、3片浮かべる。熱いみそ汁から漂うフキノトウの香りは、まさに春の香りだ。今年初めて見かけてカメラに収めたが、束の間の晴れが去って、ミゾレ模様。春は逡巡して、ゆっくりと来るのか。

オオイヌノフグリを見ると、春の陽ざしを受けて、一斉に笑い顔を見せている。小さな花で、野菜を作っていた頃には、草を取り残したところにかたまって咲いた。雑草ではあるが、雪のとけた野原にたくさん咲いているのを見ると、大切なものに再開した気分になる。

いぬふぐり星のまたたく如きなり 高浜虚子

この間蕾だったフクジュソウが、2日の暖かい陽気で花を開いた。カタクリなどとともにスプリング・エフェラメル、春の妖精と呼ばれる。太陽をいっぱい受けて根に栄養を蓄える。夏になると姿を消して、根を育てることに専念する。そんな花の生態を知った人がつけた粋な名だ。春は、小さな生きものの命が輝く季節だ。
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品倉山 シーズン最後の雪山

2022年03月16日 | 登山
昨日まで強風と雨にさらされていた庄内。こんな天気に恵まれることは予想していなかった。長く続けていた登山で、最後にもう一度見ておきたい景観がある。月山、湯殿山、鳥海山の雪景色に加え、庄内平野に横たわる摩耶山地とその左側の朝日連峰。この時期の品倉山(1211m)は、重畳と重なる山々の雪景色のパノラマ。この時期のさえぎるもののない景観こそ、最後の見て、脳裏に焼きつけておきたいものである。条件としては晴天、風のない穏やかな日。昨日まで不安定だった天候が、今日になって晴れマークとなった。こんな偶然はめってにあるもではない。

朝8時、湯殿山スキー場に着く。駐車場には一台の車も停車していない。リフトのスピーカーから音楽が流れている。営業開始前かと思ったが、乗車券売り場に、3月から水曜日はゲレンデ手入れのため休業とある。リフトを降りてからゲレンデを通らずに登るつもりであったが、休業ではここも歩いて登るほかはない。ヤマップの活動日記を見ると、大抵のパーティーがこのスキー場を起点として登っている。頂上まで4㌔、ゲレンデの上は林のなかの平坦地を長く歩く。一台のスノウモビルが追い越して行った。ボードを携えた2人組が、品倉山を目指すらしい。おかげでこのトレースを使って歩く。朝の冷え込みで、ゲレンデは固くアイゼン使用。本日の参加者10名。
歩きだして30分、春の陽ざしに汗が出る。冬支度の厚着を脱いで、風通しのよいスタイルに替える。標高900m辺りから急登が始まる。先頭はsさんとⅿさん、雪大好き二人組。快適な足運びのお二人のラッセル引かれるようにして高度を上げていく。一歩上がるごとに、スキー場の前の付近の山々やその向うの摩耶山地の景観が広がりを見せていく。900mからは標高差で300mほどだが、目の前の雪がさえぎって、思わぬ時間がかかる。足の筋肉を思い切り使いながら登っているが、4年前ここで見た風景が頭をよぎる。朝方晴れていた空に薄い雲が広がってきた。4年前、太陽はもっと降りそそいで雪は輝いていた。

1000m付近に来て、木々に霧氷がついていた。一行のなかには、ここへ初めて登る人が半数以上だ。先週の白太郎山に続いて、私が登れる本格的な雪山だが、もうこれ以降は雪解けが進んでシーズン最後の雪山である。串田孫一のエッセイが思い出される。「山麓の雪のとけ方を見ていると、春と冬との間にかっきりと引かれた一つの線の上で、なごやかに一つの力が他の力にその場所をゆずって行く様子さえ見える。」こうして季節は移ろっていく。こんなことを考えながら、雪の上にアイゼンを乗せ続ける。スキー場を出て4時間、頂上に着く。初めて見る光景に目を輝かせている面々。頂上では風も穏やかで、撮影や展望を楽しむには十分であった。鳥海山の姿が見えたが、たなびく雲が展望を失なわせせている。陽のあたる林まで下山して昼食となった。

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探しもの

2022年03月15日 | 日記
陽気がよくなると、家にじっとしていられない。だが野菜作りも止めてしまった身には、家の近くを散歩することぐらいしか、日課はない。去年咲いていたはずのお宅の花はどうなっているか。ちょっとした探しものだ。一番近いお宅のクリスマスローズが咲いていた。まだ少し縮こまったような風情だ。この花がマンサクの次に咲く。実は春に咲くというよりも、冬に咲くと言った方がいいのかも知れない。名前もクリスマスとついている。暑さに弱い植物であるらしい。
その先のお庭には、福寿草が蕾をふくらませた。もう少し季節がすすめば、悠創の丘にイチゲと福寿草が一面に咲く。それを待ちたいのだが、新聞で福寿草の開花を知らせる写真が掲載されていた。やはり、一日でも早くこの花が開くのを見てみたい。

福寿草こぞる蕾に色ひとつ 青木就一郎

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梅開く

2022年03月14日 | 日記

ここ数日、暖かい日が続いている。気温は10℃を超え、最低気温も3℃ほどで氷点下にならなくなった。10℃になると、コートも軽くなる。散歩で見る近隣のお宅の庭に、スイセンの葉がぞっくりと伸びてきた。夕方になって親水公園の小さな梅の木の蕾が開いた。一枝に、一輪、二輪と綻んでいる。道の雪がなくなるのも早い。太陽と南風の力は絶大である。靴も軽いものになり、歩く足は動きやすく足どりも冬とは随分違ってきている。

紅梅のりんりんとして蕾かな 星野立子
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仁徳天皇

2022年03月13日 | 詩吟
難波津に咲くや木の花冬ごもり
 今は春べと咲くや木の花 王仁

詩吟教本の和歌篇に見える。王仁はワニと呼び、応神天皇のとき百済から渡来し、「千字文」「論語」などをもたらしたと伝えられる。仁徳天皇が大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)と呼ばれた親王の時代に、皇太子の位についていた莵道稚郎子(ウヂノワキイラツコ)一番末の弟があった。この弟は聡明で、王仁に師事し、論語などの渡来思想を修めていた。この兄弟の皇位継承をめぐる逸話がある。兄が皇位を継ぐべきと考える莵道稚郎子に対して、天皇の指名による皇太子が継ぐべきと主張する兄の大鷦鷯尊。二人の譲り合いは3年の月日の長きに及んでいる。

豈久しく生きて、天下を煩わさむや。

論語の長子相続を深く考えた莵道稚郎子は、この言葉を残し、兄を皇位につけるために自死の道を選んだ。この悲劇によって誕生した仁徳天皇は、慈愛に溢れ民の暮らしに寄り添う政治を行った。仁徳天皇の御製とされる有名な歌がある。

たかき屋にのぼりてみればけぶりたつ
  民のかまどはにぎはひにけり 仁徳天皇
 
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