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東福寺の三門を拝観した後、ミモロは、境内の奥に位置する龍吟庵に行くことに。
「ここも特別公開のときしか入れないんだって・・・」
庵に行くには、また屋根のある橋を渡ります。

東福寺には、境内の川に掛かる屋根付きの3つの橋があり、独特の趣を添えています。
新緑に抱かれたようにひっそりと佇む庵には、今日は人影もまばら。
雨上がりの路地は、打ち水をしたようにしっとりとした雰囲気が漂います。

龍吟庵は、東福寺の塔頭のひとつで、東福寺第三世住持、大明国師の住居跡。
その方丈は、室町時代初期の作で、応仁の乱以前の現存するわが国最古の方丈建築。書院造と寝殿造の手法を融合させた名建築と言われ、国宝に指定されています。
「あれー何にもないよ」

方丈に上がったミモロが、まず目にしたのは、木も草も、花も、そして石も灯篭もない
白砂敷きの広いお庭です。
ここは南の「無の庭」と呼ばれるもの。
その名の通り、まさに何もない、無の世界が広がっています。
何もないという不思議な空間・・・でも、静かに庭に面するとき、心が鎮まってくるようです。
「あれ、庭の竹垣が変わってる・・・」ミモロが気づいたのは、庭の脇にある竹垣。

まっすぐな竹の組み合わせではなく、竹で何かが描かれています。
「これ稲妻じゃない?」その通り、竹垣には、稲妻がデザインされています。
龍吟庵の東・西・南に配された3つの庭園は、昭和39年、
昭和の天才作庭家、重森三玲(しげもりみれい)が手掛けたもの。
資料によると、
重森三玲は、昭和に活躍した作庭家。庭園研究のみならず、茶の湯、生け花など多彩な分野でその才能を発揮したアーティスト。庭園を「芸術作品」ととらえ、普遍的な美と永遠のモダンの表現とした多くの作品を残しています。
「でも、ここに住んでいた大明国師さんは、もちろん、このお庭は見てないんだよね。
室町時代と昭和時代が、いっしょになって、新しい世界が出来てるってことね。
時代に大きな開きがあるのに、すごく調和してる、不思議!」
なかなかミモロいいますね。
例えば、「ここは室町時代に創建されたお寺ですよ」と言われても、京都は、とても火災が多くて、創建当時の建造物は、実は、あまり残っていないそう。
つまり創建の時期と、現存する建造物の建築時期は、もちろん同じでないほとがほとんどです。その後、時代を経て、その当時の有力者が再建したり、復元した建物が多いんです。いろいろな時代のものが、集まって今に至っています。きっと時代の流れの中で、再建や復元されず消滅した建物は多いはず。その中で、再建されたというのは、それだけ大きな意味をもっていたということなんですね。
あれ、ミモロは、どこ?
「ここだよ」

柱のかげから、ちょこんと覗きます。かくれんぼの好きなミモロです。
「こっちにもお庭がある・・・」ミモロは、さらに方丈の奥、西の庭へと進みます。

そこには、南の無の庭とは、全く違った景色が広がっていました。