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津和野の情緒あふれる町並みの散策を楽しんだミモロは、町の脇を流れる津和野川までやってきました。

「ゆったりと流れる川…ここからの景色も、のどかでいいねぇー」とミモロは、橋の上で深呼吸。
川にかかる大橋のたもとには、前に紹介した鯉のオブジェ


ミモロのブログをずっと見てくださっている方は、思い浮かぶかも…。
祇園祭の時に、八坂神社で奉納された鷺舞です。
「あ、字は違うけど、同じヤサカジンジャだー」とミモロも気づいたよう。
そう津和野の弥栄神社は、昔、京都から、山口を経て、この地へ伝わったもので、ご祭神も、スサノウノミコトをお祀りしています。昔は祇園社といったそう。だから、鷺舞も、戦国時代に京都の八坂神社から、津和野に伝わり、約600年たった今、古式を残していることから、国の重要無形民族文化財に指定されているんです。毎年7月20,27日に鷺舞の装束の子供たちなどが、通りを舞を披露しながら進むそう。
「きっとキレイだろうね。見てみたいなぁー」と、境内に聳える大きな楠を見上げ、想像するミモロです。

「弥栄神社」をさらに奥に進むと、今度は朱塗りの鳥居が立っています。

これは、「太鼓谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)」の鳥居。鳥居のそばを通ると、「お稲荷さんへのお供えは、持ってますか?」と声を掛けられたミモロ。「え?お供え?」。「そう、お供えをしてお願いをすると願いが叶いますよ」と。

昔から、ここで御供え物を売っている方だそう。お願いが叶うならと、ミモロもひとつ求めました。
「太鼓谷稲成神社」の社殿は、山の上。ここからは、鳥居のトンネルと長ーい階段が続きます。

やっと到着した山の上。

息を切らせながら上った山の上には、眼下に津和野の町を望む景色が広がっていました。

「わー気持ちいいー」。ちょっと休憩した後、さっそくミモロは、社殿へ参拝。

お供えの包みを開けてみると、大きな油揚げと、ロウソク1本とマッチが。

社殿のそばのお供えを置く場所に、油揚げを備え、ロウソクを灯して、お願いします。
なにをお願いしたの?「ナイショ、ナイショ…」とミモロ。
さて、ここで、「太鼓谷稲成神社」のお話を少し…。
そもそもこの神社は、安永2年(1773)、津和野藩主7代亀井矩貞(かめいのりさだ)公が、領民の平穏な暮らしと津和野藩の安寧などを祈願するために、京都伏見稲荷大社からの勧請を受け、創建したもの。ご祭神は、ウカノミタマノオオカミとイザナミノミコトの2人の女神さまをお祀りする神社で、日本五大稲荷のひとつに数えられています。ちなみに日本五大稲荷とは、ここのほかに、伏見稲荷大社(京都)、笠間稲荷神社(茨城)、竹駒神社(宮城)、祐徳稲荷神社(佐賀)だそう。
もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが、稲荷神社のイナリという字は、誤字ではなく、ここでは稲成と書きます。祈願した人の念願成就したことから、成りの字を使うようになったと伝えられるほど、五穀豊穣、商売繁盛、開運厄除、そして、もちろん念願成就にご利益がある神社だそう。

「あ、注連縄が、出雲大社にそっくり…」とミモロ。確かに、中央部分が太く、全体に大きな注連縄は、出雲大社と同じ形。京都の伏見稲荷大社には、この形の注連縄はありません。
「きっと出雲大社がある島根県の神社だからだねぇー」と、勝手に納得するミモロです。
参拝を終えたミモロは、上ってきた長ーい階段をトコトコと下へ。
そろそろ電車の時間が迫っているんじゃないの…。ゆっくり歩いていて大丈夫?
「あ、そうだった。急がなくちゃ…」といいながらも、「あ、キレイな花…」と道端の花を眺めたり、

「わー美味しそう…」とお菓子屋さんに立ち寄ったりするミモロです。

「なに作ってるのかなぁー」と興味津々。
これは、津和野銘菓の「源氏巻」。

ミモロ、いつまでも見ていちゃダメでしょ。「だってー、美味しそうなんだものー」と名残り惜しそうにその場から、やっと離れるミモロです。
向かう湯田温泉…そこは詩人、中原中也の故郷。
さて、そこでは、ミモロは出会うのは…。