「おはよう!」と、すっきりした顔で目ざめたミモロ。特製ベッドの寝心地もよかったよう。
「京都ブライトンホテル」に宿泊しているミモロは、ホテルの近所へ、朝の散歩に出かけることに。
ホテルの前の新町通を北に向かうと、今出川通に到着する手前に、こじんまりとした神社がありました。「霊光殿天満宮」です。
「ちょっとここにお参りしてゆこう…」と、ミモロは、神社の境内へ。
鳥居には、りっぱな額が掛っています。そこには「天下無敵必勝利運」という文字が。
「なんかすごくパワーがありそうな神社だねー」。パワースポット好きのミモロは、さっそく奥へと進みます。
ここ「霊光殿天満宮」は、天満宮ということからわかるように、ご祭神に菅原道真公を祀っています。また、もうひとりのご祭神は、徳川家康公です。つまり、ここはふたりに縁が深い神社なのです。
この神社の起源は、寛仁2年(1018)菅原道真の6代後の菅原定義が、九州に左遷された道真が立ち寄った河内国若江に創始したのが始まりと伝えられています。その後、一条の光が天からこの地に下ったとして、ここに移され、その光に由来して「霊光殿」と称されるようになったそう。
天満宮らしく境内には、大きな牛が。
さて、ここは、元寇の折、後宇多天皇が、蒙古襲来を退治する祈祷をしたところ。歴史の教科書では、必須事項の元寇。ご存じのように神風が吹いて、ことごとく蒙古の船は沈み、日本の国は守られたと言われています。
その神がかった勝利に由来して天皇が贈ったのが、この「天下無敵必勝利運」との文字が描かれた額なのです。
「なんか強そうな神社だねー。ここにお願いすると、勝負や試合に勝てそう…」と、ミモロは、本殿に深々とお辞儀を。
応仁の乱の折に、一時、東寺の境内へ。そして江戸時代に、代々社家を務める若江家が再興され、宝暦11年(1761)に再びこの地へと戻ります。
また徳川家康は、この神社を崇敬し、天下泰平を祈願するとともに、若江家の再興に尽力。それにより寛永13年(1636)に、徳川家光が、当時仙洞御所にあった家康の像をこの神社に遷し、ご祭神として、道真と共に祀られることになります。
現在の社殿は、明治5年に近衛家のかつての鎮守の社を移築したもの。
徳川家と縁が深いことを示すのが、葵の御紋がはいった神社の飾り。
よく見ると、「大奥」の文字が。
また、神社の提灯には、ご近所の茶道のお家元のお名前が並んでいます。
神社のお守りにも、「天下無敵必勝利運」の文字がくっきり。持っているだけで、なんか勝てそうな気がするお守りです。
例祭は、11月25日。晴明神社のちょうど東方向です。ぜひ、足を伸ばして、勝利運を頂いてはいかがでしょう。
*「霊光殿天満宮」京都市上京区新町通今出川下ル徳大寺殿町365 電話075-431-4763 参拝は、6:00~日没 参拝は自由です。交通/地下鉄烏丸線 今出川駅下車。徒歩5分
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