京都では、どこに行っても紅葉素晴らしい…確かに、その通り。本当に、これほど紅葉が美しく、しかも似合う町は、ほかにはありません。
その中でも、京都に住む人も憧れる1度は見たい紅葉が、京都の町の北東に位置する「修学院離宮」です。
ミモロは、昨日に引き続き、外国から来たお友達といっしょに、宮内庁の京都事務所で頂いた拝観許可書を携えて、朝早くから、いそいそとバスに乗って向かいます。
お友達と待ち合わせしたのは「修学院離宮」の受付。
門を入ると、そこには、目にも鮮やかな紅葉が…。「わースゴーイ!」と思わず声を。
あまりの美しさに、思わず立ち尽くすミモロです。ミモロとお友達の拝観時間は、朝の9時。その日、一番早い時間帯です。まだ、幾分、朝日らしい澄み切った光が残るなか、薄い楓の葉は、その光を通し、輝いて見えます。
「さすが、評判の『修学院離宮』。入口から、もう目がクラクラしちゃうー」と。
紅葉は、楓の枝の先から、進んで行きます。「楓の紅葉って、葉っぱの外側から始まるんだー」と、そばの楓の葉をしげしげと眺めながら。
一本の木も、微妙に色具合が違い、いっそう立体的に見えています。
「うーやっぱり、ここの紅葉は、迫力があるー。木も大きいし、枝振りも立派。さすがだねー」と、ただただ関心するミモロです。
そもそも『修学院離宮』は、「桂離宮」の30余年後の明暦元年(1655)から2年の歳月をかけ、後水尾上皇によって造営工事が、始まり、万治2年(1659)に山荘として完成しました。
もともとこのあたりには、上皇の第一皇女の梅宮さまが、得度し、尼寺を結んでいたのですが、その土地の風光明媚なことから、その寺を他に移して、上、下の2つの茶屋を建設。さらに、明治18年、近くのやはり皇女が得度して開いた尼寺の境内半分と建物のを宮内省に返還。離宮に含まれることに。そして、昭和39年に、上・中・下のそれぞれの茶室や離宮の間にある約8万平米の田畑を買い上げ、付属農地として、離宮全体の景観を守り、今に。
離宮背後の山々を借景に、広大な田畑や松並木などで構成されたダイナミックな離宮。自然の姿、のどかな田園風景、そして眼下に見下ろす都の景色などが、存分に楽しめるり離宮です。
東山連峰の山すそにある離宮。ミモロが、訪れた今は、まさに紅葉の真っ盛り。
拝観コースは、全長約3キロ。1時間20分ほど掛るコースで、3つの茶屋や離宮をめぐります。
入口の御幸門を入り、まずは下離宮の「寿月観」へ。
障子や襖を取り払った室内は、広々。杮葺入母屋数寄屋風造りの建物は、創建当時のものではなく、文政年間に再建されたもの。
夕顔が描かれた杉戸。
また絵師、岸駒(がんく)による虎渓三笑の襖絵が。
ここには、上皇が好まれたひし形模様が多いそう。また、建物の名前を描いた額は、後水尾上皇自らの宸筆だそう。
後水尾上皇は、和歌、書道、茶道などあるゆる文化に造詣が深く、京都の文化に大きな影響を与えた方。中宮は、徳川秀忠の娘、和子(まさこ)。そのため、徳川家から莫大な財政援助を受けていたそう。85歳の長寿で、子供の数もかなり多かったとか。
上皇が、のんびりとした時間を過ごしに訪れたのが、この離宮。
特に、秋は、その美しさを存分に楽しまれたそう。
「これほどキレイな紅葉なら、上皇さまもきっと心和まれたよねー」
「寿月観」を拝観したミモロ一行は、長い松並木の道を歩き、次に拝観する中離宮へと向かいます。
途中目にするのは、広々とした田畑。
「あ、畑を耕しているー」と農作業をする人の姿を眺めながら、真っ直ぐ続く道を歩きます。
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