台風19号の本州への上陸が懸念され、中止になった粟田神社の「神幸祭」。その前日の12日は、まだ台風の影響はなく、晴天に。
「本当に大きな台風来るのかなぁ~」とミモロが思うほどのいい天気の京都でした。
夕方から、予定通りに始まった大燈呂や鳴管(神輿の一部)が、氏子町を巡行する「夜渡神事」。ミモロもさっそく巡行の前に行われる「れいけん祭」という知恩院と粟田神社がいっしょに行う珍しい神仏合同の祭典の会場となる知恩院前の「瓜生石」へと出かけました。


「あ、ミモロちゃん…」と、通りの向こうから、手を振ってくれたのは、ご近所のお友達…。

しばらくすると、太鼓の音が響き、大燈呂や竿灯、剣鉾が到着しました。



「あ、前田さん…ここだよ~」とミモロは、ご近所のお友達に手を振ります。「あ、ミモロちゃんそこにいたの?大燈呂の半被着てるんだ…」「うん、これ作ってもらったの…」おそろいの半被は、ミモロのお気に入り…。背中の神社の神紋も同じです。


いよいよ「れいけん祭」が始まりました。粟田神社などの神職や氏子総代の方々が待ち受ける中、知恩院の西の門が開き、僧侶がしずしずと階段を下りて、瓜生石のそばにと歩みます。



「なんど見ても、不思議な気がする…」と、ミモロ。初めて見る人は、戸惑いを隠せないほど…。
「神様と仏様が仲よく一緒に、人々の暮らしの平和を祈るってすてきなことだよね~」宗教的な対立が高まる世界情勢、こんな平和な祭典が行われていることを、世界に伝えたくなります。
始まる前は、少なかった見物客も、気づくと、通り沿いに重なるように集まっています。祭典は、滞りなく進み、知恩院の僧侶たちは、再び階段を上り、お寺の中に静かに戻ってゆきました。「なんか不思議だった~」と、そばで見ていたミモロのお友達。本当に、珍しい祭典です。
さぁ、「夜渡神事」の始まり。「ミモロちゃんも参加するんでしょ?お手伝いよろしく…」と近所の方々から…「はい、がんばりまーす」とお返事・・・大丈夫・・・?



ミモロは、大燈呂の「ヒツジ」のところへ。これは、この夏、ご近所のみなさんといっしょに製作したもの。


そばに付き添うのは、ミモロとは顔なじみのみなさんです。




ちょっとだけ、大燈呂を押すミモロ。「あ、次の場所にお手伝いに行かなくちゃ…」と、巡行の列から離れ、お友達の西沢さんのお宅へと急ぎます。「あのね、ここで鳴管を迎える、燈籠を道に置くの、頼まれてるの~」と。
西沢さんの家の前には、ミモロが、奉納したことを示す札が貼られていました。

電池のライトを道に設置したり、鳴管の人たちを迎える食べ物の準備などを手伝うミモロ。


「ホイット~ホイット~」の掛け声が、通りに響き、神輿会の人たちの姿が…。



今年は、神輿の巡行が中止になっているため、神輿会の方々が手にする鳴管にも、思い切り気合が込められているようです。
「さわっていいですよ…」


氏子町にある古川町商店街。西沢さんの家の前を通った鳴管。そして剣鉾をのせた台車が、人々に迎えられながら町を巡っています。ときどきポイントで休憩…。佐々貴宮司さんと崇敬会の前田会長さんといっしょにひと休み…?


すでに、夜の9時近く…。さぁもうひとがんばり…。
明日の神幸祭に使うはずのパワーを、この夜に注ぐように、行列は、氏子町の隅々まで、氏子の平穏な暮らしを願い、巡ります。
白川沿いを進む大燈呂。夜の闇に浮かぶ姿は、なんとも幻想的…。昨年、ミモロは、大燈呂に最初から最後まで付き添って、町をまわりました。「結構歩いたよ…」そう、6時から10時近くまで、かなりの距離を進みます。



夜10時近く、すべての人たちが、粟田神社に戻ってきました。
「あ、さおりちゃん…」ミモロのお友達は、今、消防団員で、松明が落とす燃え殻の消火活動に当たっていました。

神社に戻ると、夜渡神事の無事終了を報告する神事が行われます。



それが終わると、神輿は、飾りを取り除かれ、倉庫へと戻されます。

子供たちが楽しみにしていた子供神輿も、来年までお預け…。


「なんかさびしいね…でも、台風だからしょうがないけど・・・」と、ちょっと残念そうなミモロ。
その思いはだれでもいっしょ。また来年ね…。「明日は、台風だし、ゆっくりおうちで過ごそう…」そう言いながら、ミモロが家に戻ったのは、夜の11時近く…。きっと祭りに参加した人たちも、夜遅くまで、いらしたことでしょう。
「ホントに、台風来るのかな…」少し風は強くなってきましたが、まだ夜中は、雨もなく、台風の気配もそれほど感じません。
でも、本当に、「夜渡神事」などが、無事に終わってよかった…。それを神様に感謝するミモロでした。

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