「三宅八幡宮」を参拝したミモロ…「そうだ~。さっきキュウリ頂いた農家の方が、このエリアの氏神様があるから、行ってみたら…っていってた~」と、その言葉を思い出し、トコトコ、東へと道沿いに歩きます。
「あ、ここだ~あれ?『崇道神社』って書いてある…確か農家の人は『伊多太神社』って言ってたのに~」


鳥居から、つづく長い参道。昼にもかかわらず、ちょっと薄暗い感じです。
「りっぱな参道でも…なんかちょっと怖い感じ…」


ミモロは、そこに清浄な気と共に、なんとなく暗さが漂う雰囲気を感じています。

「あ、御霊神社って、御所の近所にあるのよ~」とミモロ。そう、御所の北側には、「上御霊神社」そして、南側には「下御霊神社」があり、どちらも早良親王をご祭神のおひとりにお祀りしています。
そして、この上高野の場所は、都の北東の鬼門に当たる場所。平安京を造営する際に、この神社を造営。ここでは早良親王おひとりがご祭神となっています。
早良親王といえば、桓武天皇が、藤原種継暗殺に関与したとして、早良親王の皇太子であるその地位を奪い、息子を皇太子にしたことから、無実を主張する早良親王は、食を絶ち、怒りのうちに亡くなります。一方、当時、新しい都として長岡京を造営していた桓武天皇。でも、その都では、桓武天皇の妃たちが次々に病死したり、疫病や洪水などが民衆を苦しめ、それは、早良親王の祟りと言われ、幾度も、鎮魂の儀式などが行われます。ついに、桓武天皇は、長岡京の造営を断念。新たな都の場所に選ばれたのが、京都。それが平安京の造営につながります。
ミモロがそう感じるだけかもしれませんが、御霊のための神社には、なにか独特の気があります。町中にあり、参拝者が多い、「下御霊神社」や、菅原道真を祀る「北野天満宮」は、場所柄明るい感じですが、崇徳天皇にゆかりのある「安井金毘羅宮」や静かな雰囲気の御所の北の「御霊神社」は、軽い気持ちでは、参拝しにくい感じがします。
「ここも、なんか気軽に参拝…ってできない感じ…」と、ミモロは、心を整えながら、参道を進みます。
「お清めしなくちゃ~」


参拝を終えたミモロ…「でも氏神様が早良親王ってことじゃないよね~」と、境内を歩き回ります。
境内には、いくつかの社があり、そのひとつが「伊多太神社」です。

そう、ここが、上高野の氏神様。その起源は、古く、平安京ができる前から、この地に鎮座する出雲系と言われる農耕の神様です。もともとここから、少し離れた場所に社殿があったそうですが、応仁の乱で焼失し、今の地に復興されたのは、明治になってから。その後、崇道神社に合祀されます。
「いたた」の名は、出雲系の神社が行う「湯立神事」の「ゆたて」が訛ったものとか。
伊多太「いたた」は、「痛た~」に通じることから、病気やけがなどの痛み平癒にご利益があるとも。
「伊多太の神様は、すごくお力が強いんですよ~」と、農家の方が言っていたのを思い出します。
なんでも、伊多太神社の旧跡地を造営して建物を建てようとしたところ…重機が転倒してけが人が出たり、関係者の不審な死が続いたそう。それで、造営を断念し、今は、石碑がたっているのだとか。
神社の神聖な領域を穢すと、大変なことが起こる…と土地の人たちは、改めてこの神様のお力を崇めているのだそうです。
現在も、9月の例大祭、そして大晦日には、除夜祭が、地元の氏子の人たちで行われています。
「大晦日の除夜祭は、一度、参拝にいらしてください」と農家の方おすすめのお祭り。
「崇道神社」の山の中には、小野妹子の子、小野毛人の墓と伝えられる場所もあります。
社のひとつは、小野一族を祀る「小野神社」も


「すごく歴史ある神社なんだ~知らなかった~」とミモロ。

木立に包まれた参道は、夏でも涼しく、静寂が漂う道でした。
*「崇道神社」京都市左京区上高野西明寺山町34 境内参拝自由 叡山電鉄「三宅八幡駅」徒歩10分

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