雪の高野山を訪れているミモロ。宿坊「持明院」に泊まり、その敷地内にある西国四十八か所巡りができる場所へ。
ずらりと並ぶ石仏にひとつひとつお詣りしてゆくと、西国四十八か所巡礼ができるのです。でも、この日は、夜に雪が降り、石仏も雪をかぶり、その前に進むことができません。ミモロがそばに行こうとしても、雪に埋もれてしまいます。でも、中央部にいらっしゃる弘法大師さまのところまでは、雪かきがされていて、お詣りができました。
「今日は全部お詣りできなくて残念。弘法大師さまも雪のお帽子かぶってるんですね~」
さぁ、奥の院の参道に行きましょ。「は~い」荷物は、お寺にあずかっていただき、高野山を出るときにピックアップすることに。
「うわ~夜、たくさん雪降ったんだね~」ザクザク・・・ミモロは、雪に足を取られながら、一歩一歩進みます。
滑らないようにね~。「うん…」
途中の石段も前より雪が積もって上るのに一苦労。
「わ~すごいね~」一面の銀世界。
その静寂の世界の美しさに心奪われてしまいます。
「空海さまもこういう雪の中に暮らしていらしたのかな~」と。もちろん空海が高野山に入ったころは、今のように大きな杉の木もこれほど茂っていない、原生林であったはず。
高野山の開創事業が始まったのは、817年から。弟子を派遣し、原野の開墾が始まります。その1年後、空海は、高野山に来て、滞在します。でも、再び京都に戻って、空海が、京都の東寺から、高野山に隠棲したのは、832年11月。そしてその後も何度か京都に戻り、宮中で法要を行っています。835年の正月に宮中で法要を行った後に、高野山に戻り、その2か月後に入滅します。
「お正月に京都にいたとき、すでに病気だったのに、どうしても高野山に帰りたかったんだね~。きっとこんな雪の時に戻ってきたんじゃないの~。今は電車とバスで来れるけど、昔は歩いて来たんだから大変だよね~。でも、高野山の雪景色を見たとき、空海さまホッとしたかも…」
ミモロの目の前に広がる雪景色は、もちろん空海が見たような景色ではありません。でも、雪は、同じ・・・。
「わ~こんなに凍ってる~」手水場は氷に覆われています。
「キャ~冷たくて、手お浄めするの辛い~」というと、指先だけちょっと水に触ってお浄めに。
「だって、手袋脱ぐのもつらいんだもの~」と。
ミモロたちは、奥の院の入口の御廟橋のそばへ到着。
ここには、御廟にいらっしゃる弘法大師さまに毎日お食事を整え、お届けする場所があります。
「あじみ地蔵さまだって~。ここでお味見するんだって~」
10時半。僧侶の方々が、この日のお食事を用意して、まずお地蔵さまにお詣りします。
木の櫃に入っているのは、弘法大師さまのお食事。なんでもその料理は、精進料理ですが、スパゲティなど今風の料理もこともあるそう。「中国にもいらしたから、中華料理もお好みかもね~」と思うミモロでした。
毎日2回行われるお食事の用意。1回目は、6時。そして10時半は2回目です。
「夕ご飯はないんだ~。お腹空かないかなぁ~。きっと朝のお食事待ち遠しよね」と、ミモロなら我慢できない食事スケジュールでした。
深々と降る雪の中、傘をさして進む僧侶の姿に、思わず合掌。
それから僧侶の後ろを追って、再び御廟に参拝しました。「お食事中、失礼します。ミモロ、もう京都に戻ります。どうぞこれからもお守りくださいませ~。また会いに来ます~」と御廟に向かって祈りました。
さぁ、ミモロ、そろそろお山を降りましょう。
「お昼食べてから~ね」と、ミモロは、それから再び、参道を歩き、お昼過ぎ、高野山を降りて京都へと戻りました。
「寒かったけど、やっぱり冬に来てよかった~感激しちゃった~」
ミモロにとって、忘れられない時間になりました。
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