「ベトナムの土産には!」「スケスケ感のある洋服を・・ね」
友人とベトナムに行って来た話はもう何度かしましたが、友人の奥さんが「ベトナムには行かない」とまったく気持を変えないので、行きたくていたラビ妻は、私の友人と同じ部屋に泊まることになるのは困ると云うので、行きたいのに行く事が出来ないでいました。
「ではお土産は何が言い」と聞きますと「何も買って来なくていい(何もいらない)から、私には薄手の洋服を買ってきて」といいます。
北海道は寒い土地なので、スケスケ感のある着物が少なく、ベトナムは暑い地なので薄手の着物もあるだろうから買ってきてね」と頼まれたのでした。お土産は買わなくてよいし、着物を探せばよいのだと服を売っている店を見て回ることになります。
ベトナムはバイク・オートバイの多い国で、その流れは想像も出来ない程のものすごさがあります。若い女性もバイクの波の中に一色たです。その人達の服装を見て驚きです。半袖姿の人はわずかで、皆が長袖のシャツに長目のスカートです。誰もスケ・スケ感のある着物を身に付けていません。
極端に言えば、ベトナムの女性は、北海道の女性より厚手の着物を身につけている様にさえ見えます。たぶん日差しが強いので、皮膚の予防、日焼けの予防のためにスケ・スケの服は着ないのかなとさせ考えさせられました。
ホテルの近くにも洋服屋が店を並べていますし、ホーチミン市の有名な市場にも店の3分1のほどの店は洋服を扱っています。こちら(カムイラビットは)は男性なので、店に入りずらいので、見ながら通りすぎるのですが、どうもスケ・スケ感のある着物が目に付きません。
それでは「ブラウスの様なものでも買い求めれば」、ということになりますが、どうもベトナム女性向きのデザインの様に思われて、とうとう買わずじまいになりました。
そうこうして市場を見て歩っていたら、若い女性の店員につかまってしまい、「このショールを買いなさい」と責められました。日本語も品物を売る。値段を客に提示する位は出来るらしく、とうとう最後まで粘られて買う事になりました。絹製だと言います。薄手のブラウス・着物に替えでのラビ妻への土産物にすることにしました。
洋服も安いらしいのですが、本人が気に入らなくてはお土産にしても、袖を通してもらえないので、本人が買い求めるのが一番です。
「雪の下で養われる北海道人の活力」
どうも本題から離れた話になりましたが、ベトナムは暑い土地なので、女性は寒さ知らずで軽装ですが、札幌の女性も冬であっても同じぐらいの軽装に驚きます。札幌でもこのごろはミニスカートだったり、薄手の物を身に着けています。冬の季節は札幌の女性には気の毒な気がします。寒い気温なのですが我慢強く体を鍛えているのだろうと思います(?)。ベトナム人のこの季節の服装を見て、札幌の女性は冬に間に体の我慢強さを養(やしな)っているのではないかとさえ思うのです。
春になり、一気に冬の我慢がはじけて、明るさ満面の札幌の女性が作られるのでしょうね(?)。
自然界も同じです。先日(27・3・5)の道新「朝の食卓」欄に、三浦綾子の小説「氷点」の一節を引用した文が載っていました。ヒロイン辻口陽子を描いた一文です。『重い牛乳瓶を両手に下げて、足跡のない真っ白な雪道を歩くのが陽子は好きだった。「この家には生まれたばかりの赤ちゃんが居るのかしら、それとも長く臥している人がいるのかしら」と、人々の生活を思い巡らしながら配達していくのだ。』
このくだりには陽子の母親から受ける仕打ちから逃れるためのやるせない気持ちをよく表われているくだりです。映画もCD化されていますので見られる事をお勧めします。
この朝の食卓の欄では、自然の中での北海道の生活に「人間の思い通りにならない何か神の深いお考えがある」と思う様になったと記しています。
長い冬を乗り越え、自然が一気に燃え立つ北海道の春の季節、自然も人も長い冬に春を待つ心が養われて、北海道人は幸せ感がこれからの季節に満ち溢れるのです。
冬もさることながら、春には是非野山に出向いて見ましょう。今年はまず最初に旭川の男山自然公園に足を運びたいものと計画しています。
待たれる春は、もうすぐそこに来て居ます。