「マッサン・ブームは我が家でも」
勤めている時はNHKの「朝ドラ」は見ることはありませでしたが、退職してからは見ることにしています。この3月末迄は朝7時のニュースを見て、7時15分からはBS3に回し「梅ちゃん先生」、そして7時30分からは「マッサン」、そして7時45分からは田中陽希の100名山トラバース、そして8時から再びNHK総合テレビに切り替えマッサンを見ます。一日2・3度(昼も見たり)「マッサン」を見ていたのです。
今日の放送で、広島、大阪、余市を舞台にした「マッサン」の放送も終わりました。来週からは朝ドラは「まれ」が始まります。
3月24日に催された「マッサン・感謝祭」にはラビ妻と行く事が出来大満足でした。10通に一通が当選したという幸運のあたりクジでした。いつも生ソバを買いに行く店の母さんも「マッサン」を毎日見ているらしく、この間買いに行った時には「もうマッサン終わりですね」と残念がっていました。店の母さんはラビ妻が「マッサンに出た事(エキストラとして)を知って」いて、私がソバを買いに行くとマッサンの事を声高く話しかけて来るのです。
ここのソバは本当に美味しいソバで、このソバを食べているとわざわざ蕎麦屋に入る気になれません。
「マッサン」で一番泣けたのは、一馬がしゅつせいする時の場面と、一馬が遺骨として帰って来た時の場面でした。この時は涙が止まらなかった話をソバ屋の母さんに話しましたら、「あの週は泣けましたね」とカムイラビットの気持ちと一緒であったらしいのです。「そうそう、そうだよな」とその場面を思い出し話し合いました。
三好茂三家の長男と次男は兵にとられ戦死しました。私は幼少でしたので、この二人の兄の記憶はありませんが、戦地に送り出した父母の気持ちを推しはかると、一馬を送りだす場面と交錯して泣けたのです。
二人の兄は戦場で亡くなり、白箱で戻って来ました。母は遺骨の戻って来た時は一日中泣き明かしていましたが、この場面も一馬が白箱で戻って来た時と交錯して「マッサン」を見ながら、私は涙が流れて止まりませんでした。親のその時の気持ちを察して涙が流れたのです。どう手違いがあったのか我が家には白箱は三つ届きました。母が年老いた晩年お遺骨を墓に入れる事になり、皆で確認しましたら中には紙切れがあるのみでした。
今、余市(よいち)は観光客で賑わっています。視聴率も高かった事もありマッサンのゆかりのウイスキー工場(ニッカウヰスキー)を見学しに来て居るのです。札幌から小樽に通勤している人の話では、以前はいつも座れたのに今は汽車は混んでいて座れなくなったといいます。
朝ドラの役に外人を使ったのは初めてですが、エリー(シャーロット・ケイト・フォックスさん)は日本語も話せなかったのによく役をやり終えたものと思います。ラビ妻はその事について感激しています。シャーロットさん本当にご苦労さまでした。
ドラマは脇役ががっちりドラマを盛り上げ、飽きない素晴らしいドラマになっていました。私の高感度の役者は鴨居欣次郎役の堤真一さんでした。