「むかしの人の最期の願いは・・畳の上で、白飯食べて 死にたい! 昔は苦労の積み重ね」
今思うと他愛もない事ですが、北海道の地に入植した人たちは、大変苦労の毎日の生活でした。
入植当時、北海道では寒冷気候で米つくりには向かず、あわやひえや豆を作り雑穀を食していました。
それでも、苦労すれば未来が開けると日夜粗食に耐え労働に励みました。
米作りに挑戦した人もいましたが、米は寒冷な気候に合わず、米作り禁止令さえ出されることもあり、長い事北海道には米は作れず、内地からわずかの高い米が入るのみでした。
小さな時よく聞かされた話は、「昔の人は死ぬ時は、少し(一口)でも米飯を食べて死にたい、板の間でなく畳の上で死にたいと言っていた」のだよ。と言うのです。
当時、麦飯交じりの御飯だが「感謝して食べなさい」と言っていたのだろうと思います。
心に残る米飯・畳の話を聞いた当時は、それでも我が家は米・麦飯半々の白さのある弁当でしたが、隣の席の農家育ちの友達の弁当はまったくの黒飯(麦飯)でした。
むかしの人たちの死ぬ時の願望を思うと、何と我々は贅沢な生活をさせてもらっているのだろうと思います。
よく言いますよね。戦時中を送った今の高齢者は「食堂に行っても食べ残しはしない」といいます。
「もったいない」と考えるか、食べ残しをしないあまり「糖尿病になってしまうのがよいのか」、まったく世の中はうまくゆきません。
★米の品種改良がされたおかげか、地球温暖化のせいか、今では都道府県の中で北海道が米の生産量で、日本一になっています。